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いじめ防止策

小学生の頃に、いじめに悩んだことがあった。
自分がいじめの被害にあったのではない。逆に、自分がいじめをしたのでもない。
いじめが校内やクラスの中に存在することに対してだ。

自分の小学校で起きていたいじめは、「小さな」ものだった。知的障碍者の子がからかわれる程度で、一線を超えることはなかった。
だから、先生を始めとした大人は、話題に上がる度に注意はしたが、根本的な解決はしなかった。

自分は「傍観者」の立場に立っている意識があった。無論いじめに関わったりしないが、別段行動を起こそうとも思わなかった。
いじめを止めさせようとすれば、自分にその矛先が向くことを知っていたのである。


何故いじめは皆悪いと知っているのに、いじめが発生するのか?
いじめはどうしても起こってしまうのだろうか?


小学生の自分は、ある「いじめ防止策」を思いついた。
「敵の敵は友」というように、人間は「共通の標的」がいると結託する。

ならば、「いじめられ役」をクラスの中に作ればよい。

その「いじめられ役」は子供達より少し年上にする。大人でもいい。
なるべく汚い格好をして、なるべく変な言葉遣いをして、教室の隅で座っていればよい。

クラスの子供はいじめられずに守られる。「いじめられ役」は演技をしているだけなので、いざとなれば自分の身を守ることが出来る。


☆ ☆ ☆

今、この自分の「防止策」を見れば、あまりにも欠陥が多い。そんな役を誰が引き受けるのか。
そして、この「防止策」を続ければ、本来いじめられていた人も、その「いじめられ役」をいじめ始めるだろう。

いじめが止まるわけではなく、別のいじめが始まるだけなのだ。

人間の本質は弱い。そして悪だと思う。
だから、その場しのぎの「防止策」に頼っても、結果は良くならない。

私達は、強く律する心を持ち続けなければならない。

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青いかさ
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