できれば色んな自分を生きたい。平野啓一郎さんの「分人主義」について。
感銘を受けた本があるので、今の気持ちを刻んでおきたいから、書きます。
「私とは何か」は、近代以降の人間を悩ませ、励まし、苦しめてきた永遠のテーマのように思う。
そこに全く新しい光を当てて、それを柔らかく設計された言葉で描き出してくれている。
最近、移動や転職、環境を変えることについて頻繁に考えている自分の心を注意深く見つめると、この本に書かれている内容に深くリンクしているのが分かった。
今が嫌なわけじゃない。恵まれた環境に不満があるわけではない。
それでも「ここではないどこか」が必要なのは、新しい環境、新しい出会い、新しい能力が欲しいからではなく、
「新しい自分」を見つけたいからなのだ。
「本当の自分探し」は、思想の世界ではずっと否定されてきた概念だと思う。若者の愚行の象徴のように扱われ、揶揄さえされてきたようにも思う。
人間は空洞で、内側に本質などなく、他者から貼られるラベリングだけがその人の属性であると、私自身も長らく信じてきた。
でも、だったらなぜ、未完成な自分がこんなに苦しいのだろう?
その疑問に答える哲学はこれまでなかったし、ずっと欲しかったんだと思う。
「たったひとつの本当の自分」はいなくても、いくつもの自分の中で、「好きな自分」「ましな自分」を選ぶことはできる。
そしてどんな自分の顔に出会っても、半分は他者のせいだし、半分は他者のおかげ。
「今の自分じゃない自分」を求めて「ここではない場所」に向かうのは、欲求として正しい。
平野さんが言うように、短い人生の中で、できれば色んな自分の顔を知りたいし、色んな自分を生きてみたいから。
そしてその結果として、今の自分を失ってしまっても、今ココに確かに存在した自分を否定することにはならない。
眠っているだけで、それもまた一つの自分だから。
そう思うと、旅立つハードルが一つ下がる。
次の一手を選ぶ時に、身軽になれるように思う。
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