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#小説
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 4-2
※タイトルは哉村哉子さんによる。
ミチルは立ち上がって、ノボルの傍に歩み寄った。彼が腰かけている正面に落ち着いて座を占めると、下から見上げるように相手の様子をうかがう。
俯き気味であるためにノボルの顔には全体的に薄く影がかかっていたけれど、充分に見ることができた。その中で窓からの灯りを受けた両眼が日に翳した輝石みたいに、ちらちらと照っているのがよく目立った。目が潤んでいるのだ。それこそ、瞬く
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 4-1
※タイトルは哉村哉子さんによる。
「それで? 君は私が何を、どうしたら満足なんだろう」
やや間を開けたのちに相手を真っ直ぐに見詰めながら、ミチルがいう。それに対してノボルは先程よりも声量を落としつつ、こう答える。少し落ち着いたのか比較的穏やかな表情に戻っていた。
「わからないんですか。あなたの嫌がることですよ」
それきり室内は静かになる。水面へ投げ落とした石が底の方へ沈んでゆくような、落ち込
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3-10
※タイトルは哉村哉子さんによる。
お前はちゃんと祈ったことがない、と彼女は夫から言われたことがある。もっと丁寧な調子と言い回しだったように思うけれど、だいたいそういうような内容だった。
五年前の初夏。そして日曜日。照り返した青葉の色が目に眩く、日差しを受けた背中から熱がこもってゆくような日だった。梅雨入り前の気候が不安定な時期だったせいか、妙に湿り気が強かったように思う。
そんな日に、ミチル
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3-9
※タイトルは哉村哉子さんによる
ベッドに腰かけて、主の祈りを唱えながら手を組んで俯いている恵一の姿がミチルの印象に残っている。眠りにつく前に主へ祈りをささげるのが彼の習慣だったので、毎夜目にしていたからかもしれない。
その姿をミチルが最初に見たのは、交際を始める以前になる。当時ミチルが暮らしていたアパートの近くにプロテスタント系の教会があり、何となく立ち寄ったときに彼と初めて出会った。
六
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐8
※タイトルは哉村哉子さんによる。
このキャンプ以降、三人でどこかへ出かけることが度々あった。目的地は海辺だったり温泉だったり、水族館だったり、動植物園だったりと様々だった。そしてその場所はきまって車か、列車で行くしかないようなころだった。
小旅行を重ねてゆくうちに恵一とノボルは、二人だけで会うことが増えていった。どうも酒を飲み交わしているようで、夫は紅を差したように色づいた頬で帰ってくるこ
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐7
※タイトルは哉村哉子さんによる。
恵一の提案が実行に移されたのは、焼き肉店での会談から一月が経ったころのことだった。その日はとりあえず晴れてはいて、しかし雲が多くて日差しが翳りやすい、良いような悪いような、何だかあいまいな天気だったのを覚えている。
プランの内容は基本的に提案者である恵一の主導で決まった。次いでノボルが意見をすることが多く、場合によっては彼の提言にしたがって計画がその都度修
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐6
*タイトルは哉村哉子さんによる
本棚の真ん中には雑貨コーナーが作られていて、ほかの収納部より比較的大き目にとられた空間に陶器の人形や砂時計など様々な小物が置かれていた。その中で一際ミチルの目を引いたのは、手のひら大くらいの小さなフォトフレームだった。はめ込まれた写真に写っている人物に、何だかとても見覚えがあったのだ。
被写体になっているのは10か、11か、ちょうどそれくらいの女の子だ。白い
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐5
*タイトルは哉村哉子さんによる。
「昨今の探偵というのは、謎を解いたら解きっ放しというわけにはいかなくてな。事件後のアフターケアーまで求められているんだ」
問題解決装置としては、世知辛いもんだね――。名探偵がスマートフォンの向こうでそう言った。それは大変なことで、とミチルは簡単に答える。当てこすりの部分なくはないけれど、八割がたは本当のことだ。数学者がキッシュの作り方を訊ねられても困るように
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐4
※タイトルは哉村哉子さんによる。
その言葉通り、彼は諦めなかった。手続きが終わった後も、ノボルは何かにつけて細目にメールや手紙をくれた。だいたいが季節の変わり目や、朝晩の挨拶だったけれど――ミチルさん、ご機嫌は如何ですか? ――そのあとに簡単な口説き文句らしいものがついてくるのが、お決まりの流れだった。――あ。それはそうと、結婚してください――
あるときは電話ということもあった。これがくせ
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐3
※タイトルは哉村哉子さんによる
そののち名探偵により二人が地下の暗闇から救出されたあと、全ての謎が明かされ、首謀者が全ての事柄に自ら幕を引く。そしていくつかの葬式が行われ、事情聴取が済み、何もかもが終わったあとことだ。深山ノボルはミチルに籍を入れようと持ち掛けてきた。それは過誤のない数式みたいに、まるでこうなるのが当然だというような風情だった。
「実をいえば、相続権を放棄するつもりなんだ」
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐2
*タイトルは哉村哉子さんによる
このころ祖父はミチルの祖母である自身の妻のほかに、二人の愛人を設けていた。そして彼は彼女たちを、まだ生まれて間もない仔犬のように扱っていたようだった。
また、これは事件の捜査の中でわかったことだけれど、祖父には身を固める以前に思いを寄せた女性がいたのだという。しかし本当にお互いに心が通じ合っていたのか、そうでないのかはわからない。確かなのは彼女が消息を絶った
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 3‐1
*タイトルは哉村哉子さんによる
ミチルが深山ノボルと初めて出会ったとき、彼は綿の花のような不思議な壁の部屋の中で眠りこけていた。あるいは気を失っていたというのが正しいのかもしれない。何故ならそのとき彼は監禁されていて、与えられる食事も満足に摂らずにいたからだ。
彼女がノボルを見つけたのは祖父の屋敷にある書斎で、本棚の裏側に隠されていた座敷牢だ。使用人があらぬ場所へ食事トレーを持って歩いてい
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 2-2
*タイトルは哉村哉子さんによる。
探偵に紹介されたアパートは現在居を構えているところから、電車で二十分ほどのところにある。物件は駅から歩いて十数分と聞いていた。その駅はいわゆるターミナル駅とよばれるもので、私鉄や市バスの乗り換えのために目に見えて人の行き来が盛んだ。そのために周辺は百貨店や専門店などの商業施設が充実しており、また居酒屋やレストラン、カラオケなども立ち並んだ繁華街になっている。今
たましい、あるいはひとつぶんのベッド 2-1
*タイトルは哉村哉子さんによる。
数十年間生きてきた中で彼女も幾度かは経験をしてはいたけれども、新しく住む場所を見つけるというのは、やはりなかなか難しく慣れない作業だった。
立地が良ければ賃料が高く、賃料が安ければ物件に瑕疵がある。瑕疵が無ければ隣人か大家に問題がある。女独りだからといって一階はダメだの二階は危ないのだのといわれたり、あれこれ詮索されたりするのは真っ平御免だった。
そう