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ルツェルンの退屈、ロカルノの陰影

スイスのルツェルンとロカルノを仕事で巡りました。

ルツェルンは大分前にやはり仕事で訪ねていますが、その時の記憶が自分の中にほとんど残っていないと気づきました。

一方、イタリア語圏にあるロカルノには、これまでにも仕事場のあるミラノから息抜きのためによく通いました。

山国のスイスは言うまでもなく美しい国です。だが、地中海や、強い太陽の光や、ローマ、ベニス、フレンツェ、ナポリ、パレルモなどに代表される歴史都市を懐に抱いているイタリアはそれ以上に美しい、と筆者は感じています。

ならばなぜわざわざ外国のスイスに息抜きに行くのかといいますと、ミラノの仕事場から近いという理由もさることながら、「そこがスイスだから」筆者は喜んで気晴らしに向かう、というのが答えです。

スイスは町並が整然としていて小奇麗で清潔な上に、人を含めた全体の雰囲気が穏やかです。

筆者はロカルノの湖畔の街頭カフェやリゾートホテルのバー、またうっそうとした木々の緑におおわれた街はずれのビアガーデンなどでのんびりします。

イタリア語圏ですら、ロカルノではミラノにいる時とまったく変わらない言葉で人々とやりとりをします。

ところがそこには、イタリアにいる時の、人も自分もいつも躁状態で叫び合っているかのような騒々しさや高揚がない。雰囲気が静かで落ち着きます。 

その気分を味わうためだけに、筆者はあえて国境を越えてスイスに行くのです。

要するに筆者は、肉やパスタのようにこってりとしたイタリアの喧騒が大好きですが、時々それに飽きて、漬物やお茶漬けみたいにあっさりとしたスイスの平穏の中に浸るのも好きなのです。

今回訪ねたルツェルンはイタリア語圏ではありません。ドイツ語圏の都会です。だからという訳ではありませんが、ルツェルンはイタリア語圏のロカルノに比較すると少し雰囲気が重い。

言葉を替えればルツェルンは、同じスイスの街でもロカルノよりもっとさらに「スイス的」です。つまり整然として機能的で清潔。人々は今でも山の民の心を持っていて純朴で正直で優しい。

しましまさにそれらの事実が筆者には少し退屈に感じられました。やはり筆者は中世的なイタリアの街々の古色や曖昧や猥雑や紛糾が好きです。

ロカルノの街はスイスの一部でありながら、イタリア文化の息吹が底辺に感じられるために、筆者は心が落ち着くのだと今更ながら知りました。

それでもやっぱりロカルノは骨の髄までスイスです。

そのことを一抹の寂しさと共に最も強烈に感じたのは、レストランで頼んだスパゲティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノのパスタが茹ですぎて伸びきっている事実でした。

コシのないパスタ麺を平然と皿に盛るのは、腐りかけた魚肉を刺身と称してテーブルに置くのと同程度の不手際です。

筆者は文字通りひと口だけ食べてフォークを置きました。あまりの不味さにがっかりして写真を撮ることさえ忘れました。

その店は、しかし、一日中食事を提供している観光客相手のレストランだったことは付け加えておきたいと思います。

イタリア的な店は普通、15時までには昼の営業を終えて休憩し19時頃に再び店を開けます。

要するにそこは、イタリアレストランを装った無国籍のスイス料理店だったのです。

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