斧で指を切断したイタリア人学者の武士道
2020年、イタリアが世界に先駆けてコロナ地獄にさいなまれ医療崩壊に陥った時、医師不足を補うために300人の定年退職医師の現場復帰を求めたところ、たちどころに8000人もの老医師の応募がありました。
彼らベテランの医師たちは、コロナが主に高齢者を攻撃して死に至らしめることを熟知しながら、年金生活者の平穏な暮らしを捨てて危険な医療の現場に敢然と飛び込もうとしたのです。
老医師らの使命感と勇気は目覚ましいものでしたが、当時は実は一般のイタリア国民も、先行きの見えないコロナパンデミックの恐怖の底で、彼らなりの勇気をふるって必死にコロナと向かい合っていました。
普段はひどく軽薄で騒々しい印象がなくもないイタリア国民の、ストイックなまでに静かで勇猛果敢なウイルスとの戦いぶりは、筆者を感動させました。
彼らの芯の強さと、恐れを知らないのではないかとさえ見えた肝のすわった態度はまた、作家のダーチャ・マライーニとその父フォスコのエピソードを筆者に思い起こさせました。
ノーベル文学賞候補にも挙げられる有力作家のダーチャ・マライーニは、アイヌ文化の研究家だった父親に連れられて2歳から9歳までを日本で過ごしました。
第2次大戦末期の1943年、ドイツと反目していたイタリアは連合国と休戦し、日独伊3国同盟の枠組を離れて日本の「友邦」から「敵国」になりました。
ヒトラーはイタリア北部に傀儡政権サロー共和国を樹立。日本にいるイタリア人はそのナチス・ファシズム国家への忠誠を誓うように求められますが、ダーチャの両親はこれを拒否しました。
その結果、一家は名古屋の収容所に入れられます。
家族は敵性国家の国民として収容所で虐待されました。
食事もろくに与えられないような扱いに怒りを募らせたダーチャの父フォスコは、待遇の改善を要求して抗議のために斧で自らの左小指を切断します。
フォスコ・マライーニの勇猛な行動に震え上がった収容所の監視役の特高は、ヤギを調達して父親に与えました。
フオスコ・マライーニはその乳を搾ってダーチャと兄弟に与えて飢えをしのぎました。
そのエピソードはダーチャの両親やダーチャ自身によってもあちこちで語られ書かれていますが、筆者は10年以上前に作家と会う機会があって、彼女自身の口からも直に聞くことができました。
父親の豪胆な行動は、日本国家と家族を現場で虐待する看守らへの怒り、と同時に家族を守ろうとするひとりの父親の強い意志から出ているのは言うまでもありません。
彼はその行為をいわば切腹のような武士の自傷行為に見立てたのです。
指を切る日本の風習は、武家社会で誓文に血判をする時などに見られたものです。
江戸時代には遊女がそれを真似する陋習が生まれ、それをさらにヤクザが真似しやがて曲解して、いわゆる「指詰め」の蛮習へと発展します。
フォスコ・マライーニの記憶の中には、武士の自傷行為は潔癖と勇猛の徴として刻まれていました。彼は武士に倣って激烈な動きで異議申し立てをしたのです。
収容所で一家を監視していたのは前述の特高です。彼らの多くは野卑で小心で品性下劣でした。旧日本軍の中核を成していた百姓兵士と同列の軍国の走狗です。
今で言えば、正体を隠したままネット上で言葉の暴力を振るうネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者や、彼らに親和的な政治家、似非文化人、芸能人等々のようなものでしょうか。
収容所では侍の精神は日本人ではなく、フオスコ・マライーニの中にこそ潜んでいました。
フォスコ・マライーニの壮烈なアクションは、コロナパンデミックの最中に死地に赴こうとした8000人のイタリア人老医師の勇気に通底しています。
8000人の年老いた医師の魂の中には、カトリックの教義の刷り込みがあります。片やフォスコ・マライーニの魂には、最善の形での武士の精神の刷り込みが見られます。
そしてそれらの突出した強さは-繰り返しになりますが-コロナ地獄の中では一般の人々によってもごく普通に顕現されていました。
善男善女によるボランティアという形での献身と犠牲の尊い働きがそれです。
死と隣り合わせの医療現場に突き進んだ退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎません。
当時は多くのイタリア国民が、厳しく苦しいロックダウン生活の中で、救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍しました。
イタリア最大の産業はボランティアです。
イタリア国民はボランティア活動に熱心です。彼らは誰もがせっせと社会奉仕活動にいそしみます。
善良なそれらの人々の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になります。まさにイタリア最大の産業です。
無償行為の背景には、自己犠牲と社会奉仕と寛容を説くカトリックの強い影響があります。
カトリックの教義は、死の危険を顧みずにボランティアを申し出た老医師らの自己犠牲の精神と、ボランティアにいそしむ一般国民の純朴な精神の核になっています。
それはさらに、学者であるフォスコ・マライーニが、家族のためにささげた自己犠牲、つまり斧で自分の指を切断するという果断な行為にもつながっています。
武士道は筋肉を鍛え上げたサムライの険しい肉体だけに宿るのではありません。
自己犠牲を恐れないか弱い女性や善良な男たち、また年老いた医師たちの中にもある気高く尊い精神なのです。
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