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わたしには価値がない         【 わたしはわたしを生きる 4 】

ようこそ
わたしのParadise(楽園)へ

わたしが生きている "今ここ" こそが、
たとえどんな状況であったとしても
この世のParadise(楽園)である

地球という3次元の世界で、
身体を持つからこそ
初めて体験できることを、
色々と体験したくて、
何がなんでもやってみたくて、
わざわざ、
この地球に生まれてきている

だから、全ての体験は必然であり、
わたしにとっては全てが最善
あれもこれも、結局、
やりたくてやっているのよ

そのことを思い出して、
まずは現状を受け入れてみる

そこで、
どんな体験をしたいのかな
今、
どんな感情を味わっているのかな
それで自分の魂は
何を学ぼうとしているのかな

誰しもが、
自分だけのParadiseを生きている

今世、わたしの魂が選んだ
この人生と、この身体と心を
思い切り、愛して可愛がって、
自由に、心豊かに生きていくための、
わたしなりのメソッド

さらに素敵な、
自分だけのParadiseを創り出す

※※※※
わたしのParadiseは、
常に安心感・幸福感を感じられる
感性とともにあるもの

====================

「人生何が起きても大丈夫!」
夫の鬱も、娘の不登校も、
わたし自身の強烈な自己否定も、
ぜ〜んぶ大丈夫でした♡

ぜんぶが大丈夫になった
わたしのセキララストーリー


※2017年に書いていたブログを
 2021年の今、振り返りつつ、
 再掲載しています。



【 わたしはわたしを生きる 4 】

「わたしには価値がない」
 
いつからそう感じていたのか
思い出せない。 
 
でも、
いつ頃からか
どこかいつも自信のない自分に
氣がついていた。
 
 
わたしには価値がないから
何かしらできるように
ならないといけない。
認めてもらうために。
嫌われないために。

3人きょうだいの長女なので
小さい時から無意識に
「しっかりしないといけない」
と思っていたのかな。
(そこはある程度は求められていたと思う)
 
 
両親は仲は良かったし、
特別に厳し過ぎることもなく
何かを押し付けられたり
あからさまに
否定されたような覚えも
ないのだけれど。
 
子どもが3人もいれば
経済的な余裕はなかったようで、
母はいつもいつも
お金の心配を口にしていたけれど、
夫婦共働きで
わたしも弟も私立大学まで行かせてもらい、
妹、弟は国家資格を取っている。
(おねーちゃんが
一番ぽやんとしとるよ〜)
 
 
母はなんと
子育てをしながら
働きながら
5年間看護学校に通い、
看護士になり、現在もまだ現役。
 
自分が今、
母と同じことをを出来るかと言われると
・・無理で〜す。

そしてそれをフォローしてた
父もすごいよな〜

 
もちろん子ども達も
よくわからないなりに
協力し合っていた氣もするし
(もう忘れてるけど)
家のご飯の準備とか
家事を手伝ったおかげで、
わたしも料理や
暮らし周りに興味を持って、
今に至る訳だ。
 
 
両親ともに忙しかったので、
どちらかというと放任主義で
進路なども、
わたしがしたいようにさせてくれた。
勉強しろと言われたような
覚えもあまりない。
 
 
逆に、
手放しで認められていた
という覚えもない・・けど

ただそういう表現をしないのが
昭和の子育てだったのかな。
今思えば、
と〜っても尊重されていたと思う。
(でも当時は
あまりわかってなかったかも〜)
 
 
自分も親になった今、
子ども3人を学校に行かせて
育て上げるのって
めちゃくちゃ大変なことだと
わかるし、


(結局、立派に家まで建ててるし
すごいやん?)
 
 
そんなうちの両親は
老後がとても楽しそう。

毎日2人で温泉に行き、
毎日晩酌をしている。


「あんた達が健康に
無事に成長してくれて、
健康でいてくれるのが一番の喜び」
と、いつも言っている。
 
 
うちの両親は、そこまで
オープンに愛を表現するタイプでは
なかったけれど、
やっぱり行動を通して
愛を持って
わたしたちきょうだいを
育ててくれたんだよな〜

今ももちろん
見守ってくれていて有り難い。

 
マヤ暦を学んで、自分を振り返ると
わたしは「黄色い太陽」なので
親からあれこれ言われるのは嫌なのだと
改めて、よくわかったし、
「一回やると言い出したら絶対聞かない」と
両親によく言われていたけど
「黄色い太陽」そのまんまやった。
 
 
そして、それを理解して(か成り行きか)
結果的に、両親はちゃんと
わたしを尊重してくれてたことに
驚いたのよね。
 
 
家庭環境はそんな感じだったけど
(改めてみれば、
めっちゃ恵まれてるよね)


でも、
自分の心のベースは
「わたしには価値がない」・・
 
 
結局、
学校教育を受ける過程だったり、
社会全体の
「人を、結果や成果で評価する」
というシステムの
影響なのかな〜と思うけれど。
 
 
ただ、何れにしても
わたしには
できないことが多すぎた〜

 
時間を守れない
人の話を聞いていない
すぐにぼーっとしてしまう
学校に行けない・行きたくない
宿題ができない
勉強ができない・・etc
 
 
何気にみんなが
普通にしていることができないのは
なんでだろう?
 
 
「わたしはおかしいのか?」
それならちゃんとできるように
頑張らなくては。
きちんとしなくては。
きちんと見せなくては。
失敗してはいけない。
嫌われてはいけない。
 
 
小学生、中学生くらいまではまだ
何も考えていない無邪気さで
楽しんでいたような氣はするかな。
 
 
下手なりになんとか頑張って、
高校と大学は行ったけれど
(合格したのは絶対
神様のきまぐれだと思う・・)
 
 
いつもどこか
自分の居場所ではない氣がしていた。
「なぜわたしはここにいるんだろう?」
と、いつも心のどこかで思っていたし。

学校ではどうやって
勉強したらいいのかわからなかったし、
正直言うと、
高校と大学の記憶はほとんどない。
 
 
会社に入ってからは、
自分の内面と
外面(そとづら)の
ギャップは開き
ますます悪化の一途。
(そもそも
全くうまく立ち回れても
いなかったと思うし)
 
 
全く会社員生活に馴染めず、
でもなんとか
体裁を取り繕おうと必死。
自分は社会不適合者だと
落ち込む日々。
 
 
でもなぜか、
入社試験の成績は
全国で一番良かったらしく
社長面接では褒められたのだ。
(神様、
全く意味がわかりません・・)
 
 
なぜだかしらないけど、
わたしの人生において、
時々そういうことがあるので
人に余計な期待をさせるのだろう。
 
 
学生時代、会社員時代ともに
結果的に
「君は期待はずれだった」と
何度か言われたことがある。
 
 
会社を辞めるまでが
わたしの人生、
暗黒の時代だったな

 
つづく。
【  2017年8月27日 投稿 】


【  2021年4月4日 追記 】

今振り返っても、
「どうやって生きたら良いのかが
 全くわからなかった」
というのが、正直なところで。

ま〜だまだ続くよ〜どこまでも〜♪
な、紆余曲折を経て、今では
夫と娘は
「ママは宇宙人やけん仕方ないとよ」
「よく今まで地球で生きてこれたね」という
共通認識をもたれております。

いやいや!
わたし真剣なんですけどっ!

・・ま、もしかしたら
そういうことだったのかもしれません。

とにかく、色々ともがく体験をすることで
何かに気が付く必要があったわけです。

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