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232:歴史 エイブラハム・リンカーン

月曜日は歴史を学びます🎵

エイブラハム・リンカーン(1809~1865)

アメリカ史上もっとも偉大な大統領と称えられている

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ケンタッキー州生まれでイリノイ州に移り

1860年に大統領に選出された

南北戦争(1861~1865)で国を率いて連邦を守り

奴隷制度を終わらせたが

1865年に狂信的な南部支持者により劇場で暗殺された

内戦には勝利したが

リンカーンは生きて平和を見届けることは出来なかった

大統領以前

大統領になるまでの政治経験は

州下院議員を数期務めたのち

1847年~1849年まで連邦下院議員を1期務め

1855年連邦上院議員に立候補して落選した程度だった

リンカーンは背が高く痩せていて

魅力に乏しくいつもふさぎ込んでいた

彼は抑うつ症だったのではと考えられている

そんなリンカーンだが

それまでに大統領になった人物の中でも

最も決意が固く、最も演説が上手い人物だった

リンカーンと演説

リンカーンはアメリカ合衆国がなくなれば

合衆国が体現している共和制の理想は

「地上から消え去ってしまう」

何としてでも連邦を守らなくてはならないと考えた

そう感じていたリンカーンは

戦争の辛苦に耐えるようにアメリカ人を説得する

感動的な演説をいくつも行った

有名な演説は1863年11月9日

ゲティスバーグ国立戦没者墓地の開会式での

「ゲティスバーグの演説」だ

リンカーンは戦没者を追悼して

「人民の人民による人民のための政治を決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである」

という民主主義の基礎を主張した

1864年に内戦終結を公約に掲げる対立候補をやぶって

大統領に再選された

この勝利は深刻な戦禍にもかかわらず

リンカーンが連邦の大義を拠りどころとして

アメリカ人を団結させ続けられたことを反映していた

すべての合衆国民への思い

リンカーンは生前

南部諸州の連邦復帰を寛大な条件で認めたいと考えており

反乱の指導者も処罰しない方針だった

それを表しているリンカーンがもっとも信頼をおいていた

ユリシーズ・S・グラント将軍の言葉がある

「彼が生きていれば南部が持つことのできた最良の友人になっていただろう」

さらに続けて

「彼は心が優しく、寛大で、柔軟な気質を持ち、すべての人を幸福にしたいと願い、何より合衆国の人々すべてが全員平等に完全な公民権を再び享受する姿を見たいと願っていたことを、私はよく知っていた」と述べた

おわりに

現在、世界でこれだけの国に対する思いを持ち

本気で行動し、国民を巻き込み、改革できる人がどれだけいるのだろうか

同時代の日本も幕末真っ只中で

1867年に大政奉還(徳川慶喜15代将軍が政権を朝廷へ返上した)を迎える

日本でも本気で改革しようと戦う熱い人たちがたくさんいた

そのころに比べると国や社会は複雑を極め

本気で戦おうと思っても打ち砕かれているような気がする

現在、コロナウイルスで混乱する世界は変わらざるえなくなっている

そんな時にリンカーンのように決意をもった人が現れると思う

しっかりと見極め支持していけたらなと思います

今日はここまで!

最後までお読み頂きありがとうございます😊

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