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凪良ゆう『わたしの美しい庭』

今日も雨が降っているし、
晴耕雨読、というし、
世間は梅雨入りしたらしいし、
来月は今月ほど残業せずに済みそうだし、
毎日の退勤後の日常に彩りをと思い図書館に寄った。
前回図書館に行ったときは貸出カードを持っていなかったから借りられなかった本と、
この前本がたくさん置いてある施設で手に取り途中まで読んでいた本の2冊を借りた。

ここまでが今日の昼間の話。
帰りの乗り物に揺られながら、ぱらぱらと本を捲り始めた。
ぱらぱら
ぱらぱら
途中ちょっと閉じて歩いて
(でもしっかりと指は栞代わりに利用して)
また
ぱらぱら
ぱらぱら

そして、気付いたら6月を迎える前に読み終えていました。

凪良ゆう『わたしの美しい庭』

薄々気付いてはいたけれど、やはり私は彼女の小説が好きらしい。
小説を読むのは、『流浪の月』『汝、星のごとく』に続いて3冊目。
実は少し前に、『美しい彼』の漫画を夜中に電子書籍で読んだ記憶がなくはないが、そのときは全く意識していなかったし、古いタイプの人間だから紙の小説以外一旦は目をつぶる。
かなり、好きだった。読んでいるときの安心感は、上の2作品と比べると圧倒的に高かった気がする。しあわせだよ。

この本には数人登場人物が出てきて、それぞれが主役の話がいくつか入ってくる感じで物語が進みます。

はじめの主人公は、10歳の女の子百音ちゃん。私はいま24なので、14歳年下の女の子。この本では、桃子さんという39歳の女性が主人公になる話があります。わたしの15歳年上。
それなのに、「社会人」という肩書きのせいか、小学生の百音ちゃんよりも自分に照らし合わせて読んでしまいます。結婚しないの?と心配されるとか、そういうところの諸々も含めて。
路有くんと統理くんは、私はああはなれないなってくらいかっこよすぎるので。(好き)
そんなことを考えながら、読んでいたら、終盤で主人公になった基くん。35歳くらいかな。あ、これ、もう1人の私だ、と思った。
私の未来は桃子さんだと思ってたけど、基くんになる未来も全然あったな、と。人生の先輩なのに、ちょっと前の自分を見ている気分にもなりました。

読みながら、あっ、この言葉はメモしておこうと救われるキーワードがいくつかあったのですが、最後の1ページを読み終えた瞬間、全部飛びました。読んでいるときは、あれがこうで、これがああで、と考えながら読めるのに、最後までたどり着いた瞬間、しゅっと扉を閉ざされてしまう感じ。毎度のことながら、言語化するのを放棄しようとしてしまいます。
それでも、わたしもフリーサイズの恋がしたいな、とか、理解するとか理解できないとか理解しようとするとか素通りするとか、そんなことを考えながら読みました。
やっぱり路有くんと統理くんの言葉と考え方がかなり好き。
この2人については、はじめから(「女の子は変わらなくちゃ」の議論)好きだった。
あと百音ちゃんは大好き。
流浪の月の2人が報われた気がした。なんとなく。

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