見出し画像

私は「ひねくれ者」が好きなわけで。


※個人的な見解!考察!愛!を語ります。

私は「ひねくれ者」と自称する人が可愛くて仕方がない。
理由は何故なのか、言語化が難しい。好きな気持ちを説明するのは難しいのだ。

今日は少しでも、言葉で説明できるように直近で起きた出来事を交えながら伝えていきたい。

【ひねくれ男性Aさんの場合】

出会った当初、彼は私を「軽い奴!」だといじってきた。
なんだいきなり!と思いはしたが、私の中で軽い部分も確かにあるなと納得していたので彼の前では「軽い私」を強調して関わっていた。
何度も会っているのに「お前とは初対面だ」と言い張るAさん。
周囲から「あの人ああでごめんね…」と気を遣っていただくこともあった。
Aさんは、いじりなのか、本気で言っているのか私はどちらでも良くて、「違うんです~」と敢えてアピールする必要もないと思っていた。
関わる時間を重ねれば、嫌でも印象には残るし、新たな一面はお互いに見えてくるのだから。

私はなんだかんだでAさんとの関わりを楽しみながら、話を聞いていくと、幼少期からの経験のひとつが私とは対照的だった。

漫画やアニメなどのコンテンツをどっぷり楽しんでいた私と、本当は読んでみたかったものの、親に止められていたため読めなかったAさん。「良さ」を知らないままであることをちょっぴり後悔していた。

Aさんはその分、活字を読むことに夢中になったそうだ。
絵はないが、自分の中で想像力を働かせ、映像を思い浮かべることの素晴らしさを今も大切にしているとのこと。
私は、20代後半あたりから活字を読むことへの面白さに気付いた。
Aさんと比べるとだいぶ遅咲きだ。それまでは「本を読んでいる友達がいる!」と周囲に謎の自慢をしていたくらい、読書をする人は「偉い」「すごい」「立派」だというリスペクトの気持ちを持っていた。私の友人は賢いのだ!というアピールだったのかしら。賢いのは事実だけれど。

そして、その感覚は私の中でも薄れてはおらず、豪快なAさんが実は読書家であったということでで、「えー――!!」と仰天してしまった。目上の方に大変失礼である。

Aさんは私の反応を見て「お前はどうせ読んでないだろう!」といったが、実にタイムリーな話だった。私は最近読んだ本などをAさんに伝えると、Aさんも驚いていた。

お互い、第一印象からの「決めつけ」があった証拠だ。
読書の話題がきっかけで、Aさんとの距離感はうんと縮まった。

そして、Aさんは私に「根底に寂しい気持ちがある」ということを打ち明けてくれた。

私はAさんに対して、いつも仲間に囲まれて、豪快で、活気のある人だという印象があったので、意外や意外だった。

その人は、本当は自分一人でやってみたい事があるのに「他人の目」を気にして、結局、他者を巻き込んでしまうというのだ。
極端に例えると、「あの人はひとりでやっている。友達いないのかな。」と、他人に色々憶測されることを気にしてしまい、やりたいことを実践する勇気がわかない。

Aさんはやりたいことの一つとして、「一人で飲みに行く(食事に行く)」ということを挙げていた。
他にもいくつか教えてもらったが、敢えてこの「一人で飲みに行く」にフォーカスを当てて話しをすると、私はその人とは対照的に、一人で外食は勿論、一人で飲みに行くことも好きだ。他諸々。(笑)
「行ってみたい」「やってみたい」となれば、その日に向けて一人で計画を練って、決行してしまう。周囲には事後報告となる場合が多く、母にはよく「何故やった!?」と良くも悪くも何度も驚かせてきた。

Aさんは豪快で活気のある男性であることは変わりないのだが、どこかで「こう思われたらどうしよう」といった思いを、勢いやキャラクター性でカモフラージュしているようだ。

一人で飲みに行き、しっとり飲む。

「自分はひねくれているし、そういう柄じゃない。本当は憧れだけどね。」と言っていた。

ここだ!まさにここなのだ!

私はこれまで「自分はひねくれ者だ」という人にAさん含め3人ほど出会ってきた。


私が「ひねくれ者」が好きなわけは…

①    「ひねくれ者」は自己理解が深い。


自分の弱さを強みに変えろ!とよく聞くような励ましの言葉があるが、大体「自分の弱さとは何か」を理解していないと変えるもなにもない。
「ひねくれ者」は「自分の弱さ」をよく理解されている。
反対に「自分の強み」に自信が持てていない、あるいは自信が持てる時と、周囲の反応や評価を気にするあまり自信が持てない時の落差が激しかったりもするのかもしれない。
そういった葛藤を抱えているところが、私が「ひねくれ者」を愛する理由のひとつだ。
あくまでも個人的に感じていることだが、「ひねくれ者」はどこかで特異な才能がある印象だ。
私の中では隠れた才能(あるいは既に発揮されている才能)がある「ひねくれ者」が、ふいに見せる人間味のある弱さにずきゅんときてしまうのである。
散々毒づいた後に、「自分はひねくれてるし…」と呟く姿は男女共通して萌えポイント。


②    「ひねくれ者」は自分自身にストイック。


「自分はできるのに何故?」「あの人はできているのに何故…」こういった思いを抱え込んでいる姿を見たこともある。自分自身に厳しい一面がある印象だ。
だからこそ、「もういいや」と疲れてしまい、諦め、皮肉な発言をしてしまったり…。
なかなか、自分に素直になれないところも愛せるポイントでもある。
「自分はここまでやったのに!」と募りに募って爆発を起こした方が楽になれるケースもあるが、それは自分のプライドが許すまで心の奥底にしまっているのだろうか。
そう考えると、非常に自分自身にストイックで「確立」した何かを求めているようにも思える。言葉にできない思いを抱えながら生きているとなれば、応援したくもなるし、愛せずにはいられない!


③    「ひねくれ者」は洞察力・観察力が鋭い。


予期せぬ出来事や、変化に弱い部分も見受けられる。そういったケースに出くわすと、身の安全確保のために逃げる選択をしたり、傷付くことを恐れ自分を守ろうとする臆病さも抱えているのかもしれない。だが、その警戒心は周囲をよく見ている証拠である。
相手の気持ちを先回りして読むことも多い。
「決められたもの」や「既に知っている」ことがあると、心の準備は万端だ。
意識しているかどうかはさて置き、無意識的にも他者や自分が置かれている環境や状況をよく観察し理解されている印象である。何をすれば「安心か」という術を知っているのかもしれない。「そんなこともわからないの?」といったようなニュアンスで放った一言にも周囲があっと驚く気づきが隠れている。賢いのだ!


④    「ひねくれ者」、本当はちょー優しい。


「もうあなたはいいよ…」と突き放されたこともあるし、「またどうせ〇〇だよ」と過去の経験から先読みして言葉を突きつけられることもあったが、そんな話もしながらも関係は続いている。「ひねくれ者」は相手を「許す」ことができる人でもある。これは本人からしてみると「諦め」の一種なのかもしれないが、私はすごいことだと思う。
スパッと関係を切り離さない理由の1つとして、Aさんが言ったように「根底にある寂しさ」が関係しているのかもしれないが、私も「ひねくれ者」がいないと寂しい。
ひねくれている=素直になれない「だけ」ではないのだ。私はひねくれ要素が少ない方だが、素直になるってなかなか難しい。「素直になる」というハードルの高い(ハードルを高くしてしまっているところもあるかもしれないが)ことができない自分に悶々としていると考えるとこれまたなんて魅力的に思えるのでしょう。


「ひねくれ者」の良さはもっとアップデートされるかも

「ひねくれ者」の自分自身を好きになれない思いを抱えている姿を何度も目にしてきた。
相手や周囲に対して攻撃的になったり、皮肉を言ったりする根底には自分に優しくできないところもあるのではないだろうか。そんな「ひねくれ者」の深い優しさを私は知っている。
これは声のトーンや目線や仕草でわかる。
(あ、今素直になろうとしてやめたな。)と必ず感じるはず。
そして、ふとした時に「ありがとう」や「いいよ」と言うひねくれ者の優しさ(諦め80%?)を素直に喜んでみてほしい。素直な気持ちで返すと、小さく笑ってくれるはずです♡
「ひねくれ者」を変えよう!ではなく、「好きだな~」と思うことをたくさん伝えていって、その人自身の新たな一面を見つけていきますぞ私は🔥

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?