「仕事は楽しいかね?」
土曜の仕事帰り、思わず手に取ってしまった。
『仕事は楽しいかね?』
児童用絵本のような表紙のデザインに似合わず、このタイトルのパンチラインである。
週次目標の数字をなんとかクリアさせるため、休日出勤をして営業に飛んだが、契約すんでのところでご破算。うまくいかぬ。週明けが憂鬱である。
そんな状態のときに、この愛らしい風貌のおじいちゃんから、「仕事は楽しいかね?」なんて聞かれるのだ。6連勤後の干からびた脳には、刺激が強すぎる。
くたびれたスーツを着たリーマンがこんなタイトルの本を持ってレジに並んでいたら、きっと店員さんも心配するに違いない。
店員さんが僕の顔を覗いてこう言ってきた。
「カバーはおつけしますか?」
僕はなるべく背筋を伸ばし、はっきりとした口調で答えた。
「はい。よろしくお願いしますっ。」
***
仕事が楽しくないという人に向けて、仕事が楽しくなるヒントを伝える本だろうと勝手に考えていた。
しかし、読む人にもよるのだろうが、少なくとも僕は、仕事が楽しくなるような本だという感想には至らなかった。
この本は、「目標という幻想」について書かれた本だと考える。
人間は、長期の目標を持って生きていくことに囚われすぎている。目標至上主義は学校教育の刷り込みでしかない。
「明日は今日と違う自分になる」という信念で、いろんなことを試してみるべきだ。いろんなことを遊び感覚で試してみて、成り行きを見守ればいい。
目標を持ったとしても、現代は変化の激しい時代だから、いつかその目標が無価値になる可能性は高い。
結局、この世界で成功するかどうかは、運ゲーなのだ。
それなら、今まで経験したことのないことにどんどん挑戦し、コインを投げる回数を増やすしかない。ということだ。
正直、僕はこの考え方をなかなか飲み込むことができなかった。
思えば、僕はどの時代においても、何かしらの目標を目指して生きてきた
ふと手にとった本に、「夢や目標はコスパが悪い」と書いてあっても、すぐには腹落ちしないのは当たり前だ。
***
高校一年のころのある出来事を思い出した。
中学からテニス部でダブルスのペアを組んでいた友人が、軽音楽部に入ってバンドをすることになった。テニス部は今までと変わらず続けるとのこと。
僕も音楽が大好きだったので、その友人からドラムをやらないかと誘いを受けた。
文化祭の後夜祭でドラムを叩き、バンドメンバーの音を後ろから支える姿を妄想し、わくわくした。
しかし、結局僕はこの誘いを断った。
自分が打ち込むべきはテニス。中学から3年間一心に目指してきた県大会優勝という目標に対し、寄り道するような真似はしてはならない。
こう考えたのだ。
彼は、テニスとバンドを掛け持ちする高校生活を送り、文化祭のトリをギターボーカルとして務めあげた。そして、モテた。
僕の方はと言うと、そのやり場のない音楽熱が高校を卒業した後により加速し、自分も音楽をやりたいという衝動に駆られた。しかしことあるごとに、自分の”目指すべき目標”のことが気になり、どうしても楽器を始めるという決心を付けられなかった。
あの時、まだ10代の時に軽いノリでバンドを始めていたら、もっと自分の欲求に素直な10代20代を過ごせていたのかもしれない。
僕はあの時の選択を、少し後悔している。
***
今更10年前に戻ることはできない。
「あの時こうしておけば、、」
目の前の目標に囚われすぎて心の声に逆らってしまうと、後悔が生まれることがある。
とはいえ、僕はおそらく、目標や夢を持たずに生きていくことはできないだろう。
これからも、目標は大事にしていく。
でも、目標に囚われすぎてしまい、コインを投げる機会を失い続けることは、あってはならない。
可愛い表紙のくせして、なかなか難しいことを伝えてきやがる。
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