「受験戦争」とかいう茶番で身につけた計画力・集中法まとめ
私はこの春で社会人になります。正直働きたくない。ずっと大学生がいい。自分を懸命に育ててくれた両親さえいなかったら、きっとニートになって餓死を待っていたでしょう。しかし働かないわけにはいかないので、社会人になるにあたって、「自分がどう行動すれば集中して成果を収められるのか」について振り返ってまとめておこうと思います。
はじめに:ただただ苦しかった大学受験
「目標に向かって忍耐強く努力した成功体験」として今のところ私の人生では大学受験が挙げられます。関東の進学校(あまり有名ではない)から、いわゆる私大の雄に現役で第一志望として合格できました(その大学生活最後の一年はコロナウイルスの影響によって悲惨になりましたが)。
私の受験生活は一言で表すと「苦痛と不安との戦い」でした。基本マイナス思考なので常に不安定な精神状態で勉強をこなしていました。中でも嫌だったのが、受験のストレスで周囲の友達がトゲトゲしてゆくことでした。思い出したら腹が立ってきたのでつらつらと書きます。
・志望校マウント(「(科目数について)東大受けるのはこんなに大変なのにW大は楽だよね〜」「最低ラインで日東駒専は受かっとかないと」と不特定多数の前で仰る東大志望さん)
・予備校組による学校の先生こき下ろし(学校の先生を「信用できない」ときっぱり言い切って授業は不貞寝、塾課題の内職、受験が近くなると授業に出席しなくなる。志望校マウントの人を含む)
・「俺〇〇時間も勉強しちゃったんだよね〜!!!」(地獄のミサワか?威圧目的というより自慢だった。悪い人ではなかった。)
などなど、季節が進むに連れてストレスで周囲を攻撃・威圧し始める人が増え、あんまりいい空気は流れていませんでした。
結果を見ると、地獄のミサワをのぞいて周囲を威圧・否定していた人はだいたい第一志望から落ちていたように思います。上記の周囲への当たりも含めて、「やって良かったこと」「やらなくて良かったこと」についてまとめました。
ノウハウ計画編
①「2時間セット」で計画を立てる
当時の英語の先生が、「人の集中力は連続して2時間が限界だ」と言っていて(科学的な真偽は今でも知りません笑)、そのまま間に受けて2時間で1教科のタスクをこなしていました。午前中2時間、昼ごはん、午後2時間、休憩、2時間、夕食と休憩、夜2時間という区切りで勉強計画を立てました。休憩を意識的に取ることでメリハリがついていたと思います。
②ルーティンを作る
「日本史の授業があった日は放課後はそのまま図書室に向かい、ノートを見返す」「帰宅して一番にお湯を沸かし、お茶とお菓子を片手に現代文をやる」「この曜日の空きコマは自習室で〇〇をやる」といった《場所》《内容》《時間》を連動させたルーティンを作るとうまく計画を実行できました。前後の予定と連動させて(「〇〇したら**する」のような)ルーティンを作るのも◎。
モチベーション維持編
①「これだけはやる」の最低ラインを設ける
受験勉強を始めたばかりの頃は、学校行事が残っていて疲れて勉強になかなか手が伸びない……みたいな日もありました。そんな時は最低ラインの勉強だけをこなし(英語長文読解のみ)、「サボってはいない状態」をなんとか作り出していました。これはあらゆる習慣化にも役立つのではないかと思います。
②いらないものを併せて消費する
これは私独自のモチベーション維持かもしれません。いらない裏紙、メモ用紙、使わない鉛筆、景品のペンなどを全部勉強で消費しました。ゴミ箱に捨てたときの爽快感はたまりません。
どうしても集中できないとき編
①自己暗示
「大学は勉強が好きな人が行くところだから私は勉強がだ〜いすき!」「勉強ってなんて楽しいんだろう!!!!」を心の中で唱えていました。
②Youtube「集中BGM」
自己暗示が効かないとき、2時間の長さの動画を探し、あくまで最終手段として使っていました。あまり使いすぎても、おそらく耳によくないと思いますし、試験本番にBGMを流すことはできませんから。
③「何があっても手を止めるな」
Z会の会報誌に載っていた言葉です。私は不安に襲われがちで勉強が手に付かないこともありましたが、とりあえず目の前のタスクに手をつけることで気持ちを紛らわせていました。
特に慢性的に不安に襲われがちな私のような人は、とりあえずタスクに集中して不安源を忘れる、というのはとても建設的な解決策だと思います。
やらなくて良かったこと
①SNS系
ツイッターなどは元々やっていませんでした。友達の紹介で勉強時間を計測してシェアするアプリを少しだけ試しましたが、できる人との差が数値化されてしまい病んだのですぐやめました。結果として、時間をSNSに取られなかったこと、人と比較することがほぼなくなったので私にとってはとても良かったと思います。
②他人を見下す
冒頭のトゲトゲした言動をしていた友達は、揃って第一志望合格が叶っていなかったように思います。偏差値は人間の優劣ではありません。それぞれが自分の目標を持って走っているだけで、他人のそれを貶めても自分にとっても何も生まない。(考えるのは自由ですけど、自分の言動をどう人に受け取られるかを考えられない人はたとえ高校生であっても人間性に問題があると言わざるを得ません。結果を残せなかった人たちは、その傲慢さが成績に影響したのではないでしょうか。)むしろ他人を貶めた挙句自分が結果を残せなかったら、これはとても恥ずかしいことではないでしょうか。
やって良かったこと
”遊びの心”を大切にすること
「受験に必要ないものはいらない。」と言って多くを切り捨ててしまう人もいるかもしれません。前述の威圧傾向にあった友達もこの思考の人が多く、先生の雑談を嫌い、果てには自主休講して塾の勉強をする人まで。でも私は逆でした。志望校の日本史の傾向が難問と称して教科書に載っていない豆知識を問うことがあったため、「どんな情報も受験につながるかもしれない」という意気込みで日々を過ごしていました。
結果、『真田丸』を毎週欠かさず見ていたため本命で出た高台院を問う問題に答えられたり、友人と休み時間に問題を出し合いっこして、友達に教えてもらった知識が本番で問われたりなど、ミラクルが起こりました。証明のしようがありませんが、私はこのミラクルが合格の決め手になったと今でも思っています。
おわりに:「大学受験」は茶番か
この文章のタイトルを「受験戦争は茶番」と定めたことについては理由があります。大学に進学して3年、友達数名との会話の中で受験時代のストレスだった冒頭の話をしたら、とてもびっくりされたのです。その子たちは地方出身で、地元の公立大学を目指す人が多く、他人の目標にいい意味で興味がなく、受験熱はそれほどなかったと言われました。私はそれに逆に驚きました。
え!?受験は戦争じゃなかったの?
私が駆け抜けた受験勉強は(精神的にとても苦しかったという意味で)戦争そのものであり、全受験生が同じ経験をすると思っていました。
卒業後に、あの苦しさはおそらく関東と地方、学校の受験ムードの違いなどの環境要因であったことがわかりました。謳われた「戦争」とは、周囲に作りあげられたものであったことに力が抜けてしまいました。
なんという茶番だったんだと。
でも茶番なりに得られるものも多かったので、今後また資格取得など勉強の必要が生まれたときにこの手法を生かせるように自分用のメモとして残します。
これらは私なりのやり方ですが、もしも目に止まった人のお役に立てれば幸いです。