下天の夢対流転
なぜかこの人とは馬が合う
どこかで会ったことがあるかもしれない
なぜか懐かしさが湧いてくる
という経験は誰もがあると思う
けれどこいつは俺が殺せねば
と思うことはまずない
『新渡戸稲造 武士道』岬龍一郎の本の中で、上杉謙信と武田信玄の逸話が書かれていたので引用したい
→信玄の領土は海から隔てた山国(甲州)にあった。そのため塩の提供を東海道の北条氏に頼っていた。そのころ北条氏は信玄と交戦状態であったわけではないが、信玄の勢力を弱めようと、塩の提供をたちきった。謙信は敵である信玄の窮状を知ると、自国の海岸から塩を得ることができることもあって、信玄に書状を送った。
『我、こうと争う所は弓箭(ゆみや)にありて米塩にあらず。謂う、いまより以って塩を我が国に取られ候(そうら)へ。多き少なき、ただ、命のままなり』
(本書46ページ)
そんな信玄と謙信は14年もの間戦っていた
信玄が死んだという知らせを受けて謙信は、悲しみのあまり声を上げて泣いたそうだ
戦国時代
侍の時代
本当に人と人が自身の志や、忠義のために切り合っていた時代があったのだ、現代の自分たちには過ぎ去りし遠い過去だ
この二人が生まれ変わって男と女になって大恋愛
また男同士で生まれ変わって、命を賭けて助け合う
むしろ生まれる前にそんな関係だったのか
こいつだ、と思う相手とさまざまな時空でいろんな形で巡り合っている
人だけじゃなく、この今持っているスマホも、着ている服も、この空間も、この体すらも、全部が流転して、引き寄せあって、離れていく
対が流れて生まれてくる
対が流れて死んでゆく
また出逢えた歓喜も
また別れる絶望も
巡っている
それに魅せられて誰もが下天の夢対流転