追悼:無着成恭さん
思想の科学研究会の関係で晩年の無着さんとはわずかながら触れ合いがありました。液体ミルクが認可された時、無着さんから、もう絶望しましたという連絡があったことを覚えていま戦中から今日までを駆け抜けた無着さんの人生を振り返るとき、さまざまなことを考えないと行けないと思います。
もう、風化してしまったかもしれませんが、森永ヒ素ミルク中毒事件(1955年)の影響も大きかったと思います。アーユルヴェーダの日本人の第一号の医師、イナムラ・シャルマ・ヒロエさんは、保健師として、この事件の追跡調査をしていて、食の大切さを考えて、アーユルヴェーダを学びにインドへと渡ったそうです。
戦中・戦後の栄養状態が逼迫する中、乳もなかなかでなくて痩せ衰える乳児の姿や、母の言葉も無着さんは目にしていたのでしょう。『おっぱい教育論』は、母乳育児の大切さを語った本です。
今日「母乳」という言葉が、物質としての側面が前面にでて、行為としての側面が後退してきているようにも思います。次の世を託すべき次世代を、育てる者を慈しみ守る、その環境を整備し整えるその精神性とそれに関わる全てのものが、劣化していくことを憂いていたように思います。
責任を取ることなく丁寧な説明をすれば、済むという今日の風潮と異なり、無着さんは、生き方そのもので、ひとと共にある責任を果たしつづけたように思います。
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