【画廊探訪 No.174】過去の遺跡に差し込む朝日を浴びて――高橋岳人作品に寄せて―――
過去の遺跡に差し込む朝日を浴びて
――Gallery Face to Face企画 林明日美/高橋岳人展 高橋岳人出品作品に寄せて―――
襾漫敏彦
個物に世界は顕われる。理想(イデア)は器となった彼等に揺籃されていく。天上の大いなる意思は下界の地のものへと下されていく。そして、正しき意味は、形を成して人に囁きかける。声の息吹を受けて、彼は自分を自覚する。
高橋岳人氏は、表現を独りで求めて絵を描いている。大学では哲学を学び、彼は表現の世界へと足を踏みいれた。高橋は、広告の印刷に使うようなコート紙の表面をエッチングのように鉄筆で線を削っていく。又、象った面を薄く剥離して図像を形成する。その上から油彩やアクリルなどの具材をのせて、拭き取ってゆく。顕われる作品は、人の手でなされながら、何かの痕跡を示す。それは、陽光で変色した壁の陽焼けや日光写真のようでありながら、何事かの意思がトレースされたもののようでもある。
哲学は世界を語る言葉を教えてくれる。それは、形であり、境界であり、定義でもある。けれども謡われた言葉は、そこに在るもののトレース、写しであり、来るべき明日を約束するものではない。
そもそも学問とは、私がいなくなった後にも通用する理を見出すものである。それは再現できるという意味では、時を越えたものである。だから、移ろい漂う私のこころを拾ってくれるものではない。それでも、神の御心にかなうという摂理に、光に、真理に、人は身を寄せることで、不安から逃れようとする。
哲学が、学問に包み込まれているならば、世界の骨格である理をもとめれば良いだろう。それでも、肉体には血が拍動し、息吹が巡る。哲学はよりよく生きたいという絶望的な呻きに支えられている。学問の彼岸と此岸をゆききする哲学に高橋は動揺する。彼は、隠されたもの、埋め込まれた摂理や意志を白い壁のような紙から掘りだす。でも、そこでとどまれないからこそ、自由と未来を信じて愚直な作業をまたくり返すのだろう。
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