画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか(79)
一種の思考実験ですが、神様の人間製造を作品製作のように考えてみます。神様が一人ひとりを作るという前提です。
作品のイメージを浮かべる、それをある程度の形にする、それにあわせた素材をあつめ、形を整えて、作品=人間として完成させる。
イメージは着想、ある程度の形は、デッサン、素材を集めるは、具材の吟味、形を整えるのは、絵を描くといった製作過程です。
美術作品の製作をもとにしたたとえなのですが、質量、形相論やイデア論を下敷きにすると、評論は書きやすい要素もあります。
ものを作る日常の営みを、投射して神の世界創造を考え、それが固定化して、説明原理になったのでしょう。そうすると、人の本当の姿を求めるように、作品の本来のあり方は、イデア、着想なのか(つまり作家の創造的想像力によるものなのか)、作品そのもの(神の創造神話によれば、結果としての人物)なのかという考えはでるのでしょう。
社会や市場における〈人の国〉での評価を、〈人〉が追放された〈神の国〉でのあり方と繋げることそのものに、無理があるのでしょうが。
ただ、アーティストも、鑑賞者も、それを市場や社会と繋げる役割の人も、つまづくように悩み、翻弄されているように思います。