【画廊探訪 No.008】 一次元が語る虚の構え ――橋寛憲針金造形作品に寄せて―――
一次元が語る虚の構え
―――橋寛憲針金造形作品展
「いろいろないきもの」に寄せて―――
襾漫敏彦
モノトーンの写真の中に、色調を感じることがある。脳の中の記載を動員して、頭の中で再構成しているのか、写真の中に色彩のかけらが残っているのか、確かでない。
今回の橋寛憲氏の作品から考えたことのひとつである。届いた案内の葉書は、小鳥の造形であった。(ミソサザイ)当初は、いきものの表現としての針金をつかったフレームワークぐらいに思っていた。
会場は、さながら自然動物園である。そこでみたのは、小鳥をこえた多様な造形であった。蛙、アロワナ、ゾウムシ、蝿、そしてカニ、草、木、葉、水面。表現する対象に差別がない。いいかえれば、愛着を感じないのである。いきものの表現のために針金という素材を選んだのではなく、針金のために、モチーフを選んでいるのである。
蛙が好きなんですか、と尋ねたところ、
「尻尾のないものは擬人化したポーズがとりやすいですんです」
まったく乾いた工学的な答えである。アーティストという人種に対して感じる匂いのようなものが感じられない。工学部の学生のようである。只、素材というものに規定される造形には、このような人と出くわすことも多いように思う。そういう所も面白い。
最近の3Dというのは、二次元がつく嘘である。彼の手から紡がれるのは、一次元でついた嘘である。彼は、ものと出会った瞬間、表の象のすべてを空間の中の線に置き換え、ひと巻きの針金を取りあげるのである。曲がりをつくって面が生まれる。そして、位相を変えた瞬間に空間が発生する。
しかし、一本の針金は、線ではない。太さをもち、密度をもち、表面をもつ。形が組みあげられ、空間をつくった時、針金は抽象的な線という嘘から解放される。そして、嘘は、平面へと、空間へと拡がる。触感や色彩、ひいては拍動というまでの嘘を針金はまとい直すのである。
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針金造形の橋さんです。写真は、DMからとった古いものです。彼のブログを御覧ください。
映像をださないと取り付きにくいみたいなので、だしていきます。
でも画像は、自分で探してください。ほんの一部にすぎないので。