子どもの成長を通じて感じたこと
今日のnoteは、5月の澤サロンnoteもくもく会テーマ「子供の日を迎えて思うこと」というテーマで書いてみたいと思います。
いやぁ〜今回もなかなかハードルの高いテーマだな・・・💧と思いました。お恥ずかしい話ですが、そもそも「こどもの日」なんて言われるまで全く意識していなかった!だって世間的にはゴールデンウィークです。せっかくの長期連休なんだから旅行とかキャンプとかパーっと行きたい!って、子供のことなんて気にもかけずに、私は思ってしまう訳です。
しかし、有難くもこのようなテーマを与えていただいて、「あぁそうだな。浮かれている場合ではなく、子どもともっと向き合うべきタイミングなんだな。」と気づかせていただきました。ありがとうございます!
さて、本題に戻って「こどもの日」。
私には現在7歳になる息子がおります。
私も多分に漏れず親バカなので、控えめに言ってもまぁかわいい!目に入れても痛くない!最近は随分生意気になってきましたが、それでもこんな感情が先立つのが我が子という生き物。本当に不思議なものです。
子供って本当に成長が早いんですよね。最近はSNSやクラウドが発達しており、スマホに入れてるfacebookやgoogle photoなどが「◯年前の今日の思い出です」とか言って、親切丁寧に写真をアプリのトップやApple Watchに表示してくれる。それを不意にみると、「えっ!? 2年前ってまだこんなんだったの??! 」といつも驚かされます。
今日のnoteでは、そんな子どもの成長を見て最近私が感じたことを徒然と綴っていきたいと思います。
今の子どもは大変
率直にこう思います。
自分たちが子どもの頃は、教科でも算数・国語・生活(昔は理科・社会)・道徳くらいしかなかったイメージ。ですが今はICT(プログラミング)・英語など私たちが子どもだった頃にはなかったものがどんどん授業にも入ってきています。学ぶべきことが私たちの時代と比べて相対的に多くなってきている。
しかも今は多様性の時代です。それぞれの子どもがやりたいことを見つけて、その彼/彼女らの能力を育てていくことが益々重要視されるようになってきていると感じます。そのため、昔のように「子どもはこうあればいい。」ではなく、「この子にとって」を見つけることが、子ども自身のテーマにもなりつつありますし、一方で親にも、それは「プレッシャー」という形でかかってきているようにも思うのです。
さらには、周囲からの目もどんどん厳しくなってきているように感じます。子どもがどこへ行くにしても、何をするにしても、保護者が目を光らせて、子どもに危険が及ばないようにだとか、周囲にご迷惑がかからないようにだとか、そう言ったことが強く求められる。でも結果それが、却って子どもが自由に行動できる範囲を少しずつ狭めているようにも感じるのです。(もちろん「子供を危険から守る」という行為が素晴らしいことであるのは間違いありませんが。)
子どもの成長をどう見守るのか?
そんな"昭和の時代"とはいわば異なる、複雑な世の中で、私たちは子どもの成長をどのように見守っていけばいいのでしょうか?いつも悩まされます。
私自身、正直なところ全く答えがわかりません。
ただ、言えることは、とにかく彼が興味を持つことはどんどんやらせてあげたいということです。
我が家では、たくさんの習い事をさせています。今は4つさせています。
(東京ではある意味普通のことなのかもしれませんが。)
その中でも変わったものが1つあります。それは、「子ども農園」という習い事です。彼が最も気に入ってもの、それが実はこの農園での活動なんです。
他の習い事が"渋々行く"なのに対して、農園は、数日前から「あと○日!」と数えるほど、毎週心待ちにしている状況です。
農園での活動は、当然ながら野菜を育てることが主目的ではあるのですが、彼がこの農園で今はまっているのは「野菜育て」ではなく「小屋作り」。
畑のすぐ横のスペースに小さな小屋(?)を建てているのですが、インパクトを持って木材同士を繋ぎ合わせて、組みあげていきます。ペンキでカラフルに色を塗り、雰囲気はまるで秘密基地。野菜育てそっちのけで打ち込んでいるようです。(平日なので見に行ったことがないのですが、農園の方からお聞きしている様子では、ずーっと没頭してやっているとのこと。^^;)
なぜこんなにハマるのだろう?と考えると、他の習い事にはない特徴がありました。
時間制限がかなり緩い(学校終わりから参加できて、最大4時間くらい活動できる。)
自分のやりたいことをやらせてくれる(土いじりが好きな子は土いじり。小屋が作りたい子は小屋づくり。といった感じ。
予め決められたストーリーがない(天気次第だったり、時には害虫やカラスに危害を加えられることがあったり、毎回ここ!と決まった到達点がない)
その時その時のシチュエーションに合わせて、決まったストーリーのない活動を実践していく。だからこそそこにドラマが生まれ、思わぬ発見があり、良質な学びがあるのだろうと思います。
フレームに囚われないことこそ最大の価値
もう一つ彼を見ていてすごいなと感じるものがあります。それは、カメラ。子どもって本当に独特な構図や視点で写真を撮るんですよね。
もちろん親を見ているので、どんなテイストの写真が好きか?とか、そう言ったことは真似してきたりもします。
でも、半分ふざけてもあると思いますが、大人には取れない写真を撮ってきたりもする。
その被写体に焦点当てる!?
その構図は配置!?
その角度から!?
驚きの連続。でもなんかエモかったりもするんですよね、案外。
大人の写真ってどうしても写す時の角度だとか、被写体配置だとか、そう言ったものが無意識的に偏ってきたりします。自分なりの成功の方程式というものを持っていて、シンメトリーだとか、1対2だとか、そんなフレームに気づいたら当てはめてる、みたいなことが自然と起こりがちです。
でも子どもは違います。言葉遊びをするように、写真も半分ふざけながらも、構図を気にすることもなく、いろんなことを実験します。
何にも囚われていないからこそ表現できるエモさを作り出せるのだと思います。
何歳になっても子ども心を忘れない。そのために・・
だから、どんな時にも私たちは子どもに戻ることを忘れてはいけないのだろうと思います。何歳になっても枠に囚われず、常におものを吸収し、変化を楽しんでいく。ドロドロ、ぐちゃぐちゃを楽しんでいく。子どもの頃に戻ったように、時に自由に、時に無邪気になれる場が必要なのだと思います。
じゃあ少しでもそんな場に自分の身を置くためにはどうすればいいか?答えは案外簡単なのかもしれません。それは、子どもと外へ出かけて、一緒に遊ぶ・探検することなのだろうと私は思います。
彼らは遊ぶ天才です。大人たちが思いもよらないことをやったり、またそれを面白がったりもします。大人の節度は持ちつつも、一緒になって楽しむ・遊ぶことが、新たなイノベーションへとつながる一歩になるのだろうなとここまで書き進めてきて感じました。
翻って、今の私たちの現状はどうでしょうか?
休みの日ともなれば、「休みたい」という気持ちが真っ先に湧き上がるのが悲しいですが現状です。そんな状況を打破するためにも、改めてこれからの暖かい季節では、子どもと外へ出かけて、一緒に遊ぶを実践していきたいと思います。
今回のテーマを下さったもくもく会の皆様に感謝いたします!
最後までお読みいただきありがとうございました!!
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