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クリスマスの幸せ

クリスマスの夜になった。義母が生きていた頃は義家族でよく集まっていたが、亡くなってからは集まりもぐんと減り、今年のクリスマスも夫や大学の寮から帰省中の息子と静かに過ごした。

天気がいいので日中は一人で家の近所を散歩し、犬の散歩などで歩いている人と挨拶を交わす。会う人会う人皆Merry Christmas!と言ってくれたので、私も笑顔でMerry Christmas to you too!と返す。帰宅してから息子に「今はHappy Holidaysと言わなきゃいけないと思っていたけどMerry Christmasもまだアリなんだね」と言うと、「Happy Holidaysじゃなきゃ駄目というのは企業とかの話で、個人間はまだ徹底とかはしなくていいんじゃないの」と。それなら良かった。リベラルな地域に住んでいる以上、wokeな人々に指摘されそうな事柄には気を使うのだ。

私はHappy Holidaysと言われたら自分もそう返し、Merry Christmasと言われたら自分もまたそう返すようにしている。旧正月に中華系の人たちからHappy Chinese New Yearと言われれば私もそう返し、インドの光の祭典ディワリの時にはインド系のご近所さんたちにHappy Diwaliと言われるからやはりそう返す。何でもアリだ。人々がハッピーな日を言葉で私に分けてくれたときには、私もその言葉で返したい。

毎年クリスマスになると思い出す話がある。作家ポール・オースターが編集した「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」の中に入っている話だ。「ファミリークリスマス」という題名を付けられたその実話は、1920年代前半のシアトルである家族に起こったクリスマスの朝の出来事。

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

アメリカ中が不景気で、父の仕事は上手くいかず家計は火の車。おまけに子沢山という家庭でクリスマスプレゼントを用意するのは難しい。家計に余裕が無いのは子供達も分かっているが、それでも、イブの夜になってもツリーの下に何も置かれていないのを見て皆沈んだ気持ちで寝床に行った。それが、翌朝、クリスマスの朝起きるとツリーの下にラッピングされた「プレゼント」が山積みになっていたのだ!

全員が浮かれながら自分宛のプレゼントを開け始める。母へのプレゼントは母が数ヶ月前に無くしたと思っていたショール。父には壊れた古い斧。妹には彼女が以前履いていた古いスリッパ。弟にはつぎの当たった皺皺のズボン、語り主である「私」は前の月に食堂に置きわすれたと思っていた帽子・・・。皆、見覚えのある何かが入っていた!可笑しくて開けるたびに全員で笑う。

これは弟の一人が企てたことだった。クリスマス前の何ヶ月にもわたり、家族それぞれの無くなっても困らなそうなものを集め、クリスマスイブに皆が寝てからラッピングしツリーの下に置いたのだ。

みんなあんまりゲラゲラ笑うものだから、次の包みの紐をほどくこともままならない有様だった。

ナショナル・ストーリー・プロジェクトI 114ページより

語り主は、「このクリスマスはわが家の最良のクリスマスの一つとして記憶している」と締めくくっている。最高な家族の最高なクリスマスだなと思った。厳しい状況でも幸せなクリスマスを送ることが出来る人々は尊い。皆のためにそれを演出した人はもっと尊い。弟、グッジョブ。

「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」はポール・オースターが1999年にラジオ番組でリスナーに自身の人生にまつわるエピソードを投稿するよう呼びかけたのが始まり。全米あちこちからたくさんのエピソードが寄せられた。それらは普通の人々の普通の暮らしの中でハッとしたり、癒されたり、心を揺さぶられたりした瞬間の切り取りだ。

今年のクリスマスも世界中のあちこちでたくさんの人々がいろいろな経験をしただろう。誰かに伝えたくなるような温かい経験をした人が多いといいなと思う。そしていつかその人たちの話を聞きたい。Merry ChristmasやHappy Holidaysの挨拶に同じ言葉で返すように、その時は私も私なりの温かいエピソードを伝えて小さな幸せをシェアしたい。


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