相模線の205系に乗車!
こんにちは。明日から中間試験が始まるShun-Hayabusaです。
今回は、11月18日に相模線で新型車両が登場するらしいので、その前に置き換えられる車両に乗ろうと思います。
相模線に乗車だ!
こんにちは。ここは茅ケ崎駅です。
相模線は、これ茅ヶ崎駅から橋本駅を結ぶ路線ですので、この駅が相模線の起点ってわけです。
なんでここまできたかって?土曜日の学校帰りに気まぐれです。(←はよ帰れ)
さて、やってきました。相模線の205系500番台。
座席はこんな感じ。
フカフカでいいんですよね〜。
この座席も置き換えで消えてしまうのか。悲しい…
行き先表示。今では珍しい幕です。
最近はLEDが大半ですからね。
これ、珍しいんですよ。
どこがだよって思うかもしれませんが、相模線用の500番台だけ、JRのマークが緑色なんです。
珍しいの?って思うかもしれませんが、他の205系のJRマークは全て黒です。
相模線はボタン式です。
現在は某ウイルスの影響の茅ケ崎と橋本でしか使わなくなりましたが。
運転台。
この運転台も、他の205系とはちょっと違うみたいですよ。
さて、発車ベルが鳴ったら、茅ケ崎駅を出発です。
先程、JRのマークが緑なのは500番台だけとか、運転台が他の205系とはちょっと違うとか言っていますがなぜそんなことになったのでしょう。
205系が登場したのは1985年。
国鉄が民営化したのは1987年ですので、国鉄末期に誕生したことになります。
しかし、この時はまだ相模線に電車が走っていませんでした。
この時の相模線は電化しておらず、気動車であるキハ35系が走っていたんです。
しかし、相模線も電化工事が完了し、電車を投入ようと製造されたのが205系500番台なんです。
しかし、この500番台が登場したのは1991年。国鉄が民営化してから4年が経過していたのです。
つまり、設計はJR東日本がしていたということ。国鉄の設計を生かしつつも、改善するところを改善したりしたのでしょう。
JRマークが緑なのは、JR東日本のイメージを出したかったのかもしれません。
さて、そうこうしているうちに寒川駅に着こうとしています。
ん?なんか左に線路が伸びてる。
なんだこの線路は?…と思った方、教えてあげます!!!(←はよせい)
この線路は、寒川支線という、かつての相模線の支線です。
川の砂利を運ぶことが許されていた時代、この支線を経由して相模川の砂利を運んでいたらしいです。
しかし、法律が改正されて、川の砂利を運べなくなり、廃止に。
その線路が今でも残っているわけです。
さて、寒川を発車してしばらく経つと、厚木駅です。
実はここは厚木市ではありません。この地域の正式名称は海老名市河原口と言います。
つまり、厚木駅は海老名市なんですね。
厚木市に行くためには、相模川を渡らなければならず、昔は相模川に橋をかけることができなかったため、川の手前で厚木市に近い部分を厚木駅としたそうです。
厚木市の中心部は小田急小田原線の本厚木駅周辺で、「本当の厚木」という意味で「本厚木」ができたそうですからこの厚木駅は「ニセ厚木」ですね(笑)。
そして、厚木駅には2007年(僕が生まれた年)まで使われていた旧ホームがあります。
ちなみに厚木駅と海老名駅の間に、撮影地として有名な踏切があります。
そして海老名を出発した後、見えてくるのは記事でも紹介した入谷駅です。
車内から見ても秘境駅感ありますね〜。
でも乗降客数が意外といたのが驚きました。
下の写真にいる人数より多いですよ。
そして入谷駅の次の駅、相武台下駅に着く前に…
また別に線路が。
こちらは相武台下にある相模川の砂利を運んだ支線です。
寒川支線と同様、法律が変わって砂利が運べなくなり、廃線となりました。
さて、相武台下駅を発車してからしばらくが経過し、終点の橋本に到着しようとしています。
あの記事の出発場所、アリオが見えてきました。
そして、到着。橋本です。
橋本について詳しくは、下の記事をご覧ください↓
まとめ
いかがでしたか?
今回は、もうすぐ新型への置き換えが始まる相模線に乗った記事でした。
これから新型の方にも乗ろうと考えているので、そっちの記事でも相模線についてもっと話したいなと考えています(夜になっているかもしれませんが)。
みなさんも相模線、乗ってみてください。
では、失礼します。
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