留学する人は皆お金持ち?
高校在学中に2度留学をし、海外大学に進学したものだから、生い立ちを話すたびに「お金持ちだね」と言われる。まあ自分と似た生き方をしている人に会えば多分同じ感想を抱くだろうし、私の家は貧困家庭でもない。それでもやはり「お金持ち」と言われて嬉しく思ったことは今まで一度もない。
まず第一に、仮に私がお金持ちであったとしても、それは指摘されて喜べるものではない。私が稼いだのではないからだ。起業して成功してその成果を讃えられるのはまだしも自分が何も貢献していない家庭の経済状況を褒められたところで困惑するだけである。
第二に、「お金持ち」であると伝えることは相手の努力を無視することに繋がる。もちろん留学を志すことができて反対されない環境はとても恵まれているが、それでも必死で奨学金の選考を受けたり、進学の条件であった大学の学費免除のためにエッセイを書いたりしたときは更に恵まれた経済状況の中で育つ人々を羨ましく思った。ある程度恵まれた経済状況が人々に多くの選択肢を与えるのは事実だが、それに向け努力した時間も苦痛もまた事実であり、それらの成果全てを「金持ちである」という言葉にまとめるのはさみしい気持ちになる。
また多くの場合「お金持ち」というのはかなり偏った判断になる。いい靴や服を持っていたとしても彼が切り詰めたお金をファッションに回しているのかもしれない。iPadを持っているからお金持ちと言われたことがあるが、ノートパソコンはないし携帯電話もアンドロイドの私と最新のiPhoneを持つあなたとの間にそんなに差はないのではないか、とも思った。一つの持ち物や事実を引っ張ってきて経済状況を判断するのは難しいだろう。
かくいう私も学費が何百万円もする大学に通っていたり、幼い頃からファーストクラスに乗っていたり、私立学校出身だったり、一等地に住んでいたりする人々を見ると「お金持ち」と判断して切り捨てたくなることはある。自分との埋められない差は自己責任ではないと言い聞かせるために。それを感じるたびに歪んだ自分の心と行き場のないマイナスの感情が嫌になる。
家庭が貧しかったり裕福であったりすることは子供の意思とは関係がない。経済状況や家庭環境に影響を受けない教育・留学の機会を広げたいと思うとともに、偏見を持たず人々の人生に目を向けたいと感じている。