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インターネット時代に本を読む意味はあるか。答えは「ある。」真の「知」とは体系的で経験的なもの。

本を読むことについて。

インターネットの波に押されてCDやレコードが不要になった時、CDやレコードに青春の全てをつぎ込んできた自分はかなり落ち込みました。自分は不要なことをやってたのだろうか、と。

まったく同じことを本を読むこと、読書についても思うようになりました。たくさん本を読んできたけどそれは無駄なことだったのだろうか。Google検索すれば済む時代になったのか、と。随分と無駄な人生を過ごしてしまったものだと思いました。一切のCDや本を買わなくなりました。それがしばらく続きました。

しかし。最近、そうでもないぞと思うようになってきました。本を読んだことは無駄でなかった、と。

なぜそう思うようになったかというと相場のチャート分析をするようになって自分がそこそこチャートが読めるようになってきてからです。チャートを読みFXのポジションを持ち勝ったり負けたりする。その技術や知恵というのは体系的なものであり経験的なものであると痛感するのです。

早い話がググってFX勝てるのか?ということです。

例えば私は釣りをしたことがない釣りのド素人ですが、その私がググって釣り道具を揃えてググって釣りの方法の知識を得てそれで釣れるのか?ということです。絶対に釣れるわけが無い。「ヒットの打ち方」をググって3割打者になれるのか?なれるわけがない。野球でもおそらくヒットを打つためにはピッチャーの仕草を見たり配球を読み取ったり守備やランナーがその時にどこにいるかを眺めたり…といった目に見えない攻防を察知して体系的に読み取り、それでもって日々の練習を重ねたスイングでようやく一本のヒットが生まれる。そういう世界だと思います。FXも同じです。


Googleで得た情報というのは一つの「知」の断片です。それだけで何かがどうなることはまず無い。その「知」の断片を真に生きたものにするには体系的な情報の流れを見て、それらを経験的に知っておく必要がある。

ググッても断片でしか情報はわからない。
ではどうするか。

この答えの一つが古典を学ぶということ。なのではないかと思うのです。

例えばFXにおいて一目均衡表という古典を学ぶことは意味があるか?ということです。「ある!」と自信をもって思うようになりました。なぜかというと一目均衡表を知れば過去のチャート検証を一目均衡表を通して自分の目で追えるようになる。つまりググった情報でなく自分の目で見て自分の頭で考えるツールを一つ持てることになる。

情報過多の世界にあって古典を身につけることは「自分で知の体系が作れる」その第一歩ではないかと思うようになってきました。Googleが出現したから本を読む意味がなくなったか、古典を読む意味が無くなったと一瞬思ったのですが「逆だ!」と思うようになりました。

古典を学ぶことには意味がある。

そう確信を持てるようになりました。

そして再び、本を買いそれをめくるという日々が戻ってきました。

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