アインシュタイン(1916年)の orz
"On the theory of quantum mechanics"(量子力学の理論について)の解読にかかり、こつこつ続けて、ようやくひととおりラストまで追うことができました。
ディラックポールの論じ方は、ほかの論文もそうですけど汗をかかないひとだなって感じがします。
その代わりに読む側は汗だくになって後を追うのです。「なんでここでいきなりこんな式を出してくるんや?」「いきなり仮定を置いてきて、次のページでそれがうまいこと有名法則に変身してみせる様は、シルクハットからウサギを取り出す魔術師のようで、いったいどうやってこの仮定を思いついたのかわからない」と目を回すことしきりです。
およそ百年後の人間である私でさえこんな風だから、当時の物理学者たち(それに数学者たち)はもっとそうだったと想像します。
*
それはそれとして、この論文を解読しながら、最終節で検証されるアインシュタインのB係数論文について、じっくり読みなおしてみたくなってきました。
ドイツ語による原論文を、検索では見つけられなかったので、湯川秀樹監訳のものに目を通して、ちゃちゃっと論じたことはあります。しかしちゃちゃっと論じて済ませてしまったので、いい機会なのでちゃちゃっとではなく腰を据えて読解してみるのも悪くないという気になりつつあります。
"Strahlungs-emission und -absorption nach der Quantentheorie"(量子論における輻射の放射と吸収)という論文です。
英訳版を見つけました。"
湯川監訳版においても6ページ半の、それほど長くはない内容です。
もっとも英訳版を ChatGPT に放り込んで、要約を作ってもらったものの、今一つピントがあわないものだったので、私がやってみます。幸いこの論文については、日本のある科学史家さんが簡潔に解説したものがあります。それを参照しながら――
*
アインシュタインは光を波でもあり粒子でもあるとする、光量子の考え方を1905年に提唱し、それより5年先行して世に現れていたプランク分布について、なんとか彼の光量子説で説明できないかと、何年も努力を続けていました。
1913年、ニールス・ボーアが原子模型を提唱。中学の理科の教科書にも載っている、あれのルーツですねあれの。それまでは原子は土星の輪っかのように電子を従えているとする説(日本人による!)こそあったものの、ボーアはより明確に、半径の大きさが異なる複数の輪っかがあって、そこに電子があるとする説を出してきました。
電磁波を吸収すると電子が外側の輪っかに、内側に移る時は電磁波を放出するとする説です。
これにアインシュタインアルベルトは霊感を得ました。論文中にこの模型への言及はないけれど触発されていたことは行間からうかがえます。
なんでうかがえるかというと、ボーアの説には、こんな数式が出てくるのですよ。アルくんが食いつきそうなブツですブツ。
$${ΔE=hν}$$
出てきますねプランク定数($${h}$$)。
ボーアそのひとは、アインシュタイン光量子説には当時(1913年)否定的でした。そもそも大半の物理学者がそうでした。
右辺にある($${hν}$$)についても、光量子ではなく、プランクがいうところの「振動子」によってデジタル化された電磁波(光)と考えていました。
アルくんはというと「おおっ光量子が右辺に現れておるやないか!」と考えて…
この動画に描かれる、精子みたいなのが光量子だと解釈しました。
そして、ボーアが提示した $${ΔE=hν}$$ を、彼(アルくん)がもともと得意としていた統計力学に放り込んでチチンのプイすると、プランク分布が導出できてしまうぞどうだすごいだろうと、論文で訴えました。
これでとうとう、わしの光量子論でもって、プランク分布を説明できてしまったのだわっはっはっ!
…というのは私が少々話を盛っています。実際はというと、プランク分布を導出はできたけれど、そのときにあるズルをしています。
B係数です。
これが何なのかは、ここで説明しておいたので興味のある方はどうぞ ↓
このB係数について、アルくんは「これさえあればわしの光量子説が正しいと示せるのだ!」と考えました。しかしこのBさんが正しいものであることを、彼は導出できませんでした。
論文末尾でもそのことを口惜し気に愚痴っています。
10年後にディラックポールがそれを果たしたことは、前に述べたとおりです。(彼もまた自分の導出法に穴があることを気にしてはいましたが、1年を待たずしてその穴は克服されることとなります)
*
こんなところでいいかなアルくんの論文紹介。
次回より解読にかかるのこころだ~