キャラクターとは何か - 響きの神話と描かれた英雄たち
私にとっての苦い経験のひとつに、大学院での講義があります。もう何度も語ったことなので「またか」と思われるでしょうが自分にとっては喉に刺さった魚の骨です。いずれ決着をつけないといけません。詳細は省きますが最終的には「キャラクターとは何か」という問いかけに行きつく、そういうお話です。このサブジェクトについては今なお考えが整理できないでいるので、以下思いつくままに綴っていきます。
クラシック音楽と呼ばれるものがどうして「クラシック」と呼ばれているのか? これは岡田某先生あたりが昭和の末より取り上げてきたテーマです。私なりに考えを述べるとですね、楽曲について「作者」が後付けで発見されたことと大きく関わっているように思います。
バッハが音楽の父だとかなんとか、今の中学校ではどう教えているのかわかりませんが私が中学生のときは音楽の教科書の巻末年表にそんな風に記されていました。そして音楽室にバッハやベートーベンらの肖像画が飾ってありました。
音楽著作権について前にかなり詳しく研究したことがあります。音楽室に肖像画が並んでいるような方々の時代についてはどうだったのだろうと調べてみたら、いろいろ面白いことに気づきました。たとえばモーツァルトは、皇帝とか大貴族とかがパトロンつまり生活費保障者になっていて、彼らから何か注文を受けて(ついでに依頼料もいただいて)ピアノ協奏曲なり嬉遊曲なりを書き上げて演奏するとですね、演奏後の楽譜はこのパトロンが管理して、もし誰かほかの貴族さんから「あれいい曲だったらうちでも演奏したい」と申し出があったら楽譜をレンタルしていたのです。レンタル代はパトロンさんのものとなりました。こういうと何だかかっこいいのですが当時のヨーロッパの音楽家は貴族や王侯たちの下僕でした。今でいう「音楽家」の地位がはっきりしてくるのはもう少し後、ベートーベンの時代になってからですね。こういうところにフランス革命の影響が感じられます。つまり「作者」というか「作家」という概念が育っていったのです。
子どもの頃、NHKでクラシック演奏会を聴くのが好きでした。演奏前に必ず解説者が「この曲はベートーベンがナポレオン・ボナパルトに捧げるために作曲したもので、しかしその後ナポレオンが皇帝になったことに激怒してナンタラカンタラ」と作曲と初演時の時代背景を語り、そして「これを今回指揮者の誰それさんはどう解釈するのかが聞きどころです」とか毎回煽るのがかっこよかったのを覚えています。つまりベートーベンという絶対的存在がいて、そこにどこまで指揮者誰それとなんたら交響楽団が迫ることができるかを味わうゲーム、それも崇高かつ高邁なゲームです。
一方で私は映画音楽が大好きでした。御多分に漏れずジョン・ウィリアムズの楽曲にすっかりほれ込んでしまいました。小学生のときです。「スター・ウォーズ」はむろんかっこいい曲でしたが「スーパーマンのマーチ」に遭遇した小4の私は虜になって一日中聴いていたほどです。ベートーベンの「運命」第一楽章と同じ楽曲構造になっていることにはすぐ気づきました。
ただ、小4の私がことばにして考えたわけではないのですが「運命」における絶対的存在(神ですね)はベートーベンだとして「スーパーマン」における神様はジョン・ウィリアムズではなくスーパーマンという架空のスーパーヒーローでした。むろん小4の私はこの曲を作ったジョンという方を天才だと思いましたし後に彼の顔写真を目にして自分が想像したとおりのお姿だったことにとても機嫌をよくしたほどですが、彼のほかの名曲群「ET」「レイダース」等を聴いたとき、それぞれの神はジョンではなく変な異星人や漫画チックなアクション考古学者でした。
これってよく考えたら面白い現象ですよね。ベートーベンよりもっと前の、それこそバッハとかだと、彼の作る宗教曲における神は、まさに神様でした。たとえば「マタイ受難曲」はイエス・キリストが主人公の音楽でした。この曲をバッハという「作家」を神において聴く姿勢は、19世紀前半にメンデルスゾーンがこれを再演してバッハを神格化つまり「作家」と再解釈した頃からだと思います。
前に大学院でお話したとき、こうした音楽の話はむろんしていません。これはたった今、こうやって書き綴りながら心に移るよしなしごとを書き綴るうちに胸狂おしくなっていく様をブログにこうやって書き綴っているものです。しかし面白いですね私を読んでくださったプロフェッサー夏目は、パパがバイオリニストとママがハーピストという音楽一家の末っ子にしてご長男であらせられながら、ご当人はカラオケ大好きという以外は音楽の才を有さなかったのだから。
1890年代になってニューヨークで二大新聞王が発行部数争いを繰り広げる中、日曜版(今でいうグラビア週刊誌と広告雑誌のルーツみたいなものです)の充実こそがカギと考えてグラフィックを派手かつ洗練されたものに磨いていくなか、現代でいうコミックスの原型が生まれてきました。この頃は今でいうまんが家(cartoonist)の概念は形になっていなくて、各紙が記事挿絵用絵師として社員雇用している者たちが副次的にそういうものを描いていました。引き抜きなんてこともよくあって、その際に連載まんがは誰に帰属するのかという混乱が生じました。20世紀に入って裁判がいくつか生じ、描いたひとの血肉とみなして主人公は絵師さんのものやとする判決がニューヨークで下されました。このとき「まんが家」(cartoonist)が誕生したという解釈もできると思います。
ただこれはコミックスについての判断で、そのうえニューヨーク州内限定での判決でした。ハリウッドでアニメーション映画が量産されるなか、この判断は非現実的なものでした。ミッキーマウスはウォルト・ディズニーの発案でしたが実際にデザインしたのは腹心のアニメーターでしたし、ミッキー映画を作画しているのもウォルトが雇っている絵師たちでした。ということはミッキーマウスは誰のもの? これはお金も絡む、非常に重大な問いかけでした。ウォルトは自分がミッキーといっしょに写っている宣伝写真をあれこれ作らせて広報用にばらまいて「俺のもんにきまっとるやないか」と世界中にアピールしました。
ところがミッキーの誕生よりちょうど10年後、スーパーマンという方が現れました。これは新聞まんがでもなくアニメーション映画でもなくて、月刊まんが誌でした。
ちなみにこの「アクションコミックス」という雑誌こそがアメリカにおける(それにおそらく欧米における)まんが雑誌第一号です。連載開始前に作者コンビは、出版社にこのまんがの著作権やほかに付随する諸権利のいっさいを譲渡するとする書類に署名していました。新聞まんがの世界ではこの頃すでに定着していたやり方です。後で裁判でもめると嫌なので当初から出版側でいっさいを管理するやり方のほうが後で裁判でもめずに済むからいいだろうという、割と安直な理由で広まったやり方で、スーパーマンについてもこれが踏襲されたのです。このスーパーヒーローさん、予想外の大ブレイクを果たし、ラジオドラマ、アニメーション映画、実写映画、それにあらゆる商品化に活躍の場を広げました。日米戦争のあいだ作者の片方が徴兵されて、ほかのライターさんが代筆していましたが、そのときに作者さんのあずかり知らぬところでスーパーマンの姉妹編として「スーパーボーイ」という新連載が始まって、それに作者さん(徴兵されたほう)が怒って、戦後に裁判を起こして、いろいろあった末に作者コンビが敗訴し、これでスーパーマンは完全にこのコンビに頼らず出版社主導で連載も翻案も商品展開も続けられることとなったのでした。
「作家」がいなくてもスーパーマンは成り立つのです。代わりにスーパーマンという架空の存在が、自律した人格を持つ「神」となったのでした。
こうやって書き綴りながら面白いなーと思いますね。かつて貨幣は金とが銀とか銅とかの、普遍的価値があるとされる鉱物を使っているからこそ貨幣価値がありましたが、次第に金や銀や銅の含有率を減らす(つまりケチる)ようになってもコインにヴィクトリア女王さまの横顔があれば信用され続けました。20世紀になると紙幣に取って代わられました。紙切れでも紙幣価値は損なわれなかったのです。もはや金や銀といった有形物に頼らずとも、国家が保証となる、そういうヴァーチャルな金融世界が20世紀とともに確立したのです。
キャラクターの自律とは、そういう時代の申し子にして反映だったというのが、私の解釈です。
この話は後日また語ることになると思うので、興味があるようでしたらどうか興味を寄せてやってください。