アインシュタイン(満26歳)のノーベル賞論文は穴だらけ - Part Six
論文の第5節を解読していきましょう。
第4節の解読はこちら。そして以下が第5節です。
日本語にすると「気体および希薄溶液のエントロピーの体積依存性に関する分子論的研究」などという、前節以上にわけのわからないタイトルです。
できるだけ平明に訳したつもりですが読み返してみるとあまり平明ではないようなので、補足説明いたします。
この論文でアルくんは、マックス・プランクを仮想的に置いていると、前に述べました。「プランクの公式」は観測データにきれいに沿ってみせる優れものであるけれど、どうしてこうきれいに沿うのか、プランクご本人による証明は、アルベルトの目には不可解なものに映っていたと。
プランク教授は、正統派の方ですので、その証明法も、数式を順に積み重ねていって結論に達するという、端正なロジックに貫かれています。
ただその証明法は、ボルツマンやマクスウェルの技法を、もっと抽象的な数学的技法によって整えたものでした。要するに数式を眺めていても、抽象的ゆえにさっぱり実感がわいてこないのです。
この第5節冒頭段落でアルベルトは「そういうのはやはりよくない。エントロピーの増減は、必ず体積比で示せると自分は思う。このアイディアはどんなエントロピーについても当てはまるであろう。その証明は後日、別の論文でやったるわ」と宣言しています。
この宣言は結局、果たされないで終わりました。エントロピーは彼のこの素朴な技で論じきれるような素朴なものではないと、やがて彼は研究が進むとともに思い知っていくのです。その話は後に機会があったらするとして、この1903年3月論文で取り扱うトピックについては、この「エントロピーの増減を体積比で示す」という彼の技が有効でした。なぜって、この技が有効になるよう仮定が置かれているからです。前回と前々回に紹介した、これね。
この仮定は、本人ははっきり申していないのだけれど、要は「気体分子運動論における『マクスウェル=ボルツマン分布則』を電磁気つまり光の議論に応用できへんやろか」と、遠回しに提案しているのです。
そしてこの仮定を置けば、エントロピーの増減を体積比で表わすことが可能となります。
以下、「S」とか「W」とかの式が出てきますが…
「S」はエントロピー、「W」は場合分けの確率値ですね。場合分けの確率というのは…うーん4桁の数をサイコロで作れといわれたら「1,3,2,1」とか「5,2,6、3」とかいろいろ出てくるわけですが、そのなかで「1」が必ず一回は出てくる確率はなんぼでしょう?みたいな確率のことですこの「W」は。
これを三次元立体図で考えて、
どのエリアにどんなパチンコ玉がある瞬間に存在するかの確率を計算すれば…
それがそのまま「S」つまりエントロピーに比例すると、そういう議論をアルベルトはこの第5節で繰り広げていきます。
そして最後にこんな数式をばーんと出してきます。
高校化学(と物理)では「PV=nRT」の公式を教わります。どういうものかは検索すればわかりますが、気体分子運動論と相性のいい公式です。それとよく似た式を、アルくんは上のように捻りだしてきたのです。
この頃はエントロピーの議論が、気体分子運動論に基づくわかりやすいイメージを越えて、高度に抽象化された数学的なものになっていたのを、アルベルトは懸念していました。どうして懸念したのかというと、彼は抽象的な議論がもともと苦手でその方面の数学を苦手としていたことと、光を波とする定説を、なんとか気体分子運動論のアナロジーに引きずり込むには、この論と相性のよい「PV=nRT」の公式か、それに類似したシン公式を突き付けるのがクレヴァーであろうと、そんな風に発想したのだと想像します
そうそう、彼の脳裏にはもうひとつ「浸透圧の法則」のイメージもあったと想像します。これも説明は省きますが、19世紀後半に確立した法則で「PV=nRT」の血縁者でもあります。これも気体分子運動論の延長にある法則でした。
*
光の正体は電磁気であり、電磁気は波動である —― マクスウェル電磁気学がマクスウェル亡き後にも順調に発展するとともに「光は波」は絶対的な考え方になっていました。それに真正面から…
こんな風に切り込むのは、狂気の沙汰でした。少なくとも1905年ではそうです。そのことはアルも重々分かっていたのでしょう、たったひとつの仮定を第3節で提示して、従来の説を巧みに読みかえながら、気体分子運動論のアナロジーがもっともらしく思えてくるよう、慎重に論を進めているのです。
慎重すぎるというか、回りくどいというか、手札をみせないでねばりゲームを挑んでくるというか、そういう慎重さです。はっきりいえば、めっちゃわかりにくいです。現代の人間である私が、ほかの科学史家たちの研究文献も参照しながら読んでいって、それでようやく彼の頭のなかがイメージできるという有様ですので、1905年当時の物理学者たちがこれを読んで「おお、なるほど、これは一理あるわな」とうなずくことはありえない話でした。
次回、第6節の解読に進みますね。
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