「e^x の積分も分からない人間が実在するのですかデイヴ」
昨年、初期型ChatGPTの力も借りて、抽象数学の肝であるところの「コンパクト性」とかのルーツを探りまくったことがあります。
フレシュがどうのルベーグがこうのハウスドルフがボレルでジョルダンしてるのはなんたらかんたら…
哲学は、各時代の哲学者の列伝として理解していけば理解できていけます。
高校社会の「倫理」で教わって、それなりに分かった気になれるのは、列伝読みで学ぶからです。
数学も同じ風に学べると思うのだけど、どうもいい本がないようです。
数学史の本はいろいろ。そういうの割と読んできたほうだと思ってきましたが、私の知らない数学史本それも良書がほかにもあれこれあるようです。
ボレル集合族は、ルベーグ積分を学んでいくうちにひょこっと出てきます。なんとか理解できても、ひょこっと出てくるので何かつまづくんですよね心理的に。
ボレル先生はルベーグより15ほど年上で、師匠筋の方だそうです。ボレル集合の研究も、ルベやんが博論で積分論をかますより前になされたものです。それがどうしてルべ積分の本では、同積分用に開発されたかのような著述がされるのだろうって、思ったことありませんか?
調べてみたらボレル集合の研究は、カントル集合論(いわゆる素朴集合論)に刺激を受けてなされたものでした。カントルが無限論そして集合論に進んでいったのは、解析学のある難問を解く際に、そういうものが欠かせないと気づいたからでした。集合論は解析学出身なのですね。それに刺激されたボレルの集合研究が、解析的匂い濃厚なのも自然なことといえそうです。
実際の研究の順序と、教科書での説明の順序が一致しないので、読んでいてどうしても唐突感が拭えない。
どうしてこんな記述になっているかというと・・・ハウスドルフという方が1914年に画期的な集合論の書物をお出しになって、これ準拠でそれ以前のほかの方々の研究が整理されたかわりに、歴史的順序については外されたからのようです。
たとえばコンパクト集合はフレシュ(だったかな?)がすでに提唱していました。「コンパクト」の名称も彼が使い出したものです。しかしそれを「コンパクト性」の名で抽象化し抽出してみせたのは、ハウスドルフのくだんの書物でした。
「距離空間」とか「位相空間」とかも彼の本が初出のようですね。
うまくチャート化できないかなって今ふっと思いました。誰のどの研究が誰のどの研究を刺激して、どれに吸収されて、どのあたりで体系に整理されて、さらに後の新ジャンル研究の成果の反映で、今の教科書の記述になっていったのか、フローチャートでわかるようなものがあると、教える側にとってこそ便利かなーって。
「数字であそぼ」でしたか、京大数学科とおぼしい学校のなかの、数学学徒あるある物語のなかで「ルベーグ積分もわからん奴は人間じゃねえ!」という台詞があったような気がします。違っていても責めないように。ウェブでちらっと眼にしたのです。わかるというひとはいったいどこまでわかっているのだろうと、あまのじゃくな私は思ってしまいます。
そしてその刃は、私にも返ってくるという――
あ、そうそうアーサー・クラーク先生のハードほらSF短編集のなかにも「あいつは電気工作の腕はいいが数学が苦手で、なにしろ $${e^x}$$ の積分もできないぐらいだった」という台詞があった気がします。さらにはこんな会話が。「そんな原始人が今どきいるのか?」「ああ失敬言いすぎだった、$${xe^x}$$ の積分もできない、だ」