西洋哲学史としての数学、理論物理の母胎
凄いタイトルですがそんなにたいした話はしませんのでご安心ください、と油断させておいて話に入ります。
「完備性」とか「コンパクト性」とか、抽象数学にはやたら「〇〇〇性」が出てきます。大学に進んでからの数学は、こういう用語がいろいろ出てくるので受験数学の秀才さんは戸惑い、大半は途中で追及をしなくなります。そういうものだと受け入れてしまうしかないのだなと悟りを開くのです。
しかし私はその手の悟りが苦手で、うじうじと思い悩むのが常です。chatGPT におすがりして、とんちんかんな回答の連続にもめげず、次第にある流れを掴みつつあります。
「コンパクト性」を提唱したのはハウスドルフ、1914年の著作においてです。ボルツァーノ(イタリア、ミラノ)が1817年に中間値の定理の証明のための補題として証明したものと、ワイエルシュトラスが1868年に楕円関数についての論文で証明したものが、同値であることをハウスドルフが1914年の著作で「コンパクト性」という概念を提唱しつつ証明したのだそうです。『集合論基礎』(Grundzüge der Mengenlehre)といって450頁を超える大著でした。
「完備性」についても同著で論証されていますが、この用語の初出はデデキントは彼の著作『連続性と不連続性の研究』(1872年)だそうです。
「~性」ではないのですが「距離」の提唱もどうやらハウスドルフの1914年著作が最初のようです。「距離空間」「位相空間」についてもです。
私は数理物理の方向に進むことを夢見ていました。科学史に子どもの頃からなじんでいたのが大きく関係しています。ただ今こうやって自分なりに数学史を整理していくにつれて、20世紀物理学の母胎として数学の水脈があることを日に日に強く感じています。
このテーマで何かいい先行研究はないのでしょうか。
検索したけどそういう書物はないよー!
orz
余談ですがハウスドルフは服毒自殺しました。ユダヤ人狩りで、自分と家族が強制収容所に送り込まれることを察知してのことでした。1942年、ボンにて。
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