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「この院生はノーベル賞を授かる」とアインシュタインが評した論文(1924年)その4

その3からの続きです。

時計の針は1922年より一年進んで1923年。ルイくんがアルさまに「こいつ博士号よりノーベル賞に値する」と評されるまで、あと365日! などと派手に煽りつつ、この1923年論文その1を見ていきます。

その1というからにはその2があります。3もあるかもしれない。

その1のタイトルは「波動と量子」("Ondes et quanta")。4ページにも満たない論文です。

冒頭からいきなり大胆な数式をかましてきます。左辺がプランク量子論、右辺がアインシュタイン特殊相対論。それを「=」でつなげにかかるのです!

当時の少しでもまともな物理学者なら「おい待てぃ!」と騒ぎ出すところです。「光子に質量(m)なんてあってたまるか!」と。

しかしルイくんは「わずかだがあるとぼくは考えている。なにしろ『光の原子』なのだから」というスタンスとともに、この「光の原子」が光速に近づくにつれて時間の進みがゆっくりになって、そのぶん振動数(ν₁)も変わる――そう算出しました。


ただこの計算に従うと、彼のいう「光の原子」のエネルギーが、「静止した観測者」と「光の原子に沿って動く観測者」(特殊相対論のアレですねアレ)とで不一致を起こしてしまいます。

しかしこのエネルギーの帳簿の不一致こそが「第二の波」の存在を示している ―― これがド・ブロイの理論の概略です。ちなみに彼は「仮想波」(l'onde pilote)と呼びました。


今の目で眺めると、むちゃな論理です。というのは、ご本人もこの後に算出しているように「仮想波」による伝播速度は c(光速度定数)より僅かに大きくなってしまうのです。アインシュタインが相対論確立において絶対的なよりどころとした「光速度不変の原理」とはそぐわないのです。

ルイくんの一連の研究は、アルくんの光量子論と特殊相対論を根拠に議論を進めるとともに、光子にはわずかに質量があると前提している点でアインシュタインとはおよそ異質でした。異質なままアル理論にそった議論と計算をしていけば、早かれ遅かれ彼の伝家の宝刀「光速度不変の原理」と衝突してしまうのは、必然でした。


ルイはこれでめげてしまったのでしょうか? めげませんでした。それどころか「光速をわずかとはいえ上回るのが、仮想波の特徴なのだ」と考えて、次に目を付けたのが電子でした。

電子は質量があります。そして1923年の時点ではすでに以下の原子モデル(いわゆるボーア模型)が受け入れられていました。回る青玉が電子さんです電子さん。波の矢印(緑)が光です。①内側から外側に青玉がいきなり移るのは光を食したとき、②外側から内側に青玉が移るのは光を吐き出すときです。

ルイくんは、彼のいう「仮想波」の考え方に基づいて計算していったら、こんな等式にたどり着きました。

n は整数。h はいうまでもなくプランク定数


これ、ボーア模型を示す式です。「仮想波」を前提すると、くだんの模型をちゃんと描けてしまうのです。

難点もあって、電子(動画における青玉)が違う軌道に移るたびに公転速度が変わると考えられるから、そのたびに「仮想波」の伝播速度(断わっておくと上の動画における緑のくねくね波は「光波」です「仮想波」じゃありません「光波」です)も変わってしまうのです。ルイくんのこの論文にある数式のひとつから、そういう結果が出ます。

しかし彼はそういう反論を予想してか、こう述べるのです。要約すると「計算してみたが電子の速度がほぼ光速とするならば、電子が軌道から軌道に跳躍しても、電子に伴う仮想波の伝播速度にそれほど変化は生じない。つまりボーア模型は、私の理論で説明できる」。

電子の速度がほぼ光速… この前提にケチをつけたくなる現代の皆様のお気持ちはよーくわかりますが、この論文は1923年すなわち百年も前のものなのでどうか私の顔に免じて赦してやってください。


ちなみに彼によると「仮想波」はエネルギーを伝達はしないのだそうです。論文内でそう断言して、そして「物体の運動に伴う仮想の波」としています。

モーターボートが突っ走ると波しぶきが両翼に生じる、ああいうイメージのようです。本人がそう述べたわけではありません私なりの比喩表現です。ルイが聞いたら「たわけ!ぼくのいう波は、後ろオンリーではない進行方向にも進む波だっ」と怒ると思いますがいい画像が見つからなかったのでモーターボートの画像を代わりに貼っておきます。


以上がルイくんの1923年論文その1の概要です。フランス語独習しておいてよかった、ほっ。


その2につづくよ。

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