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「定年女子」番外編⑨

 番外編としてはそろそろ最終回でも良いのだろうな、と思いつつ書き出している。ゴールデンウィークど真ん中的な金曜日。本当は部屋の掃除!と思っていたのだけれど…その前に。

 前回は部署解散、そして移動した先の所で終了していたはず、今日はその移動先の部署でのほぼ4年間について書いておこう。当事者(私が知っている関係者という意味で)はほぼ20年近く前に退職しているはずだ。
 当時の組織ではタイピスト!だったということを書いた。1990年代半ば近くの秋、突然部門内に文書が回った。名称を忘れてしまったのだが伺い書?的なものを全員提出するように!というお達しだった。
 どんなふうに読んでも、会社側から仕事を辞めてほしいといわれたら従います、的な内容だったと思う。私は職場の状況を既にこのままで済むわけがないと思っていたし、ここに長居をしても自分のためにならないだろうな…と思ってもいたからさっさと提出したのだ。
 当時Commercial Assistantという職があり、各部に1名ずつ配置されていた。何をするかといえば、文書の翻訳、契約書作成にあたり価格設定のチェック、そんな感じだったはずだ。かれこれ30年前の話なのであやふやな記憶なのだが。私自身が暇なタイピストで、空いた時間で学童保育の業務諸々をこそっと?したりしていたから、どう考えてもその当時彼らも暇で、新聞広げてタバコ吸って的な状況だったのだ。けれどそれでも生活が懸かっている訳で、そうやすやすと提出するわけがない。結構揉めたと記憶している。
 もちろん、社内説明会も行われたが、その説明会で手を挙げるものは私以外いなかった、私の質問「これは指名解雇ってことですか?」…
回答は忘れた。その後Commercial Assistantの一人から000さんは勇気あるね~などといわれたが、どう考えても不条理だろうと思っただけだ。

 その後、最終的にはほぼすべてのCommercial Assistantが辞め、突然部署の責任者と営業スタッフにその業務が割り振られた。最初はドタバタ、結果何とかなるもので、あまり業務に支障がでることもなく、若手の営業が焦って英語を勉強したりしだした程度で仕事は続いていったのだ。
 私はといえば、相変わらずの業務内容で、暇な時間に海外取引先から送られてくるニュースレターとか冊子を翻訳し、上司にこれ使えますか?などと聞き得意先に送ったり、そのことで営業から礼を言われたり、結構自由に仕事はしてはいた。だがもちろんこれで終わりたいとは思っておらず、当時人事部長やスタッフに何度も移動願いを伝えていたのだ。
 そして数年後、部門内のとある部署で主たる取引先の日本法人設立が発表された。極々当たり前で当時はよくある話、既にコンシューマーの部門では日常的な話だった。
 がこの部門では初!に近い、そして販売促進チームも含めごっそり抜けるという状況になったのだ。主たる取引先とは言え、その他幾つもの取引先を抱えているからには、業務量も結構あるし販売促進活動はしなければならない、結論から言えばそのポジションに私が付くことになったのだ。
まあこれは何でもかんでもやってねお願い!的な業務に外部からの応募がなかったからに過ぎない。最初の面接では結構偉そうなことを言われ、そこを何とか!とは言わなかったが、結果仕方がない的にOKとなったのだ。
 兼任とはいえ、Marketing Assisutant?Marketing Communication!そんなタイトルだったか、そのままSales Administrationだったか、名刺も残していないからわからないが、やっと以前の業務に戻った気分になったのは確かだった。

 さてと、この後の話はほぼ2000年代になってくるわけで、まだ自分の中で消化しきれていない?ことはないが、メンバーは現役ということもあるから、ここで書くとしても、数年先の話にしたい。まあ、2009年4月でこの会社を辞めたのだけど、この約12年もなかなか一筋縄ではいかなかったことだけは確かだ。
 

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