【意訳】バッド・アートを“グッド”にするものとは
What Makes “Bad” Art Good?
Source: https://www.artsy.net/article/artsy-editorial-bad-art-good
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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時折、ひどい作品(バッド・アート)に注目が集まることがある。
とてつもなく壊滅的な修復を施されてしまったエリアス・ガルシア・マルティネスのエッケ・ホモ(この人を見よ、という意味。キリスト教絵画の定番モチーフのひとつ)は、“ビースト・ジーザス”へと変身してしまった。
他にもイケメンサッカー選手、ロナルドの胸像が本人よりかなり醜く作られたことも話題になった。だが、明確にひどいとは言い切れないケースもよくある。
現にピカソの『アビニョンの娘たち』やマネの『オランピア』は発表当初に批判を浴びた。(当時の批評家の一人はオランピアに対して、“ガイコツがぴったりサイズの石膏製チュニックを着ているようにしか見えない”と書いた。)その意見は以降大幅に改定され、現在では両作品共に近代芸術の傑作であり、アートとしての“良さ”を持っていると考えられている。
当然ではあるが、20世紀から21世紀までの広範囲に渡って存在する、まとまりのあるアーティスト達にラベル付したその他のアート・ムーブメントに比べると、“バッド・ペインティング”というジャンルはわかりにくい。
キュレーターのエヴァ・バドゥーラ・トリスカは、2008年のウィーン近代美術館の展示 “バッドペインティング:グッドアート” に寄せたエッセイにおいて、彼らは“美の規範に従うのを拒否する”姿勢が共通していると述べ、こう続けている。
“学術的な伝統に基づく構想とルールに積極的に反抗するだけでなく、ここで重要なのは、彼らの構想とルールが、古い教義を捨て去って新しいものに交換しようとするアヴァン・ギャルドと二十世紀の思想に基づいていることだ。”
例えばフランス人アーティストのフランシス・ピカビアは何かひとつのアートムーブメントにじっくり取り組むことはなかった。1920年代に自分の作風を確立するまでは、印象派、シュルレアリスム、ダダイズムなどを転々としている。
その後に彼は“モンスター”シリーズを描き始め、印象的な不快感を与える絵画へと方向転換した。その奇妙で幻惑的な作品は不器用な筆跡とどぎつい色彩で描かれており、ピカビアの真の技量とは矛盾した作品であった。
数十年後、第二次世界大戦が始まろうとしている中で、ピカビアは映画のポスターやソフトなポルノ写真を元に裸婦像を描き始めた。 ぎこちなく不愉快なこれらの絵画は被占領期間中に、そのモチーフをナチスが運営する北アフリカの売春宿やイタリアのファシストへと変化させた。 これらの時期のピカビア作品は、後にバッドペインティングを手掛けるアーティスト達の鏑矢になったといえる。
ルネ・マグリットの1948年における“牡牛時代”もその一つだ。このベルギー人アーティストの作品で最も知られているのは、山高帽を被った男性が空に浮いていたり、明るい昼間の空と対象的に街道が夕闇に染まっているなど、非現実的だが明確に分かりやすい絵画だった。
一方でマグリットの牡牛時代における約37点の絵画は、それよりも適当で衝動的な作品であり、風刺画や漫画の手法を用いて描かれていた。
マグリットの最初のパリの個展で、この絵画はシュルレアリストの権威の怒りを買ってしまう。(同時に展示が商業的に失敗してバイヤーを怒らせるという二次被害も生まれた。)
その数十年後、フィリップ・ガストンがその頃支配的だった抽象表現主義に反する作品の制作を始める。
そもそも彼自身が抽象表現主義の第一世代の画家であり、抽象表現が世界的政治情勢の騒々しさと余りにもかけ離れ始めた1960年代後半まで制作を続けていた。
その後にガストンは具象表現に回帰し、KKKを思わせるフードを被った漫画風の人物画、身体から分離した球根状の頭部、もつれた足の塊などを描き始めた。 彼はこのタイプの作品を1970年のマールボロ・ギャラリーの展示で初めて公開し、アート界に衝撃と落胆を与えた。例えばNYタイムズのヒルトン・クラマーは、彼を“役人がダメ人間のフリをしているようだ”と評している。
ガストンがこれらの新作絵画の制作を始めたと同時期に、大西洋の向こうではアメリカ人アーティストのニール・ジェニーがフォトリアリスト・ムーブメントに失望していた。ジェニーは電話インタビューでこう語った。“1968年にドイツ旅行に行っていた間に、アートシーン全体が突然フォトリアリスムに感染していたんだ。これは基本的にポップアートの第2世代だ。店頭販売やトラック輸送のように、アメリカ的イメージを切り取ることを何度も繰り返すこの手法は、既にやり尽くされた二番煎じのアイデアだった。”
一方でジェニーはこう考えた。“優れたアイデアを下手くそに実行すれば良い作品になるだろう。”
それこそ彼が制作し始めた、後にバッド・ペインティングとして知られる絵画シリーズである。
これらの作品はジェニーが言う“イメージが潜在的に持つ物語性”を文字通りに探究しており、原因と結果を示すタイトルが与えられた。例えば Sawn and Saw,1969(切られた木とのこぎり)、Fisher and Fished, 1969(釣り人と釣られた魚)などだ。
Accident and Argument, 1969(事故と口論)は交通事故とその余波をジェニーの素朴を装った画風で描写している。
このシャバシャバした画面のシリーズでは、緑の筆跡で描かれた芝生とアスファルトを表現する黒い絵具が垂れてしまっている。
ジェニー曰く、ホイットニーのキュレーター、マルシア・タッカーこそがこの作品を真に理解した最初の人物だったという。
マルシアはその作品の一つを1969年のホイットニーの年間展示に組み込んだ。十年ほど後に、タッカーはニューミュージアムでのグループ展でもジェニーの作品を取り上げた。その展示は“バッド・ペインティング”という挑発的なタイトルであった。(この展示には他にも、ウィリアム・ウェグマン、ジョアン・ブラウン、ウィリアム・N・コープリーなどの作家が取り上げられた。)
だがタッカーは念を押してこう説明する。“これらの作品がスクール(流派)やムーブメント(潮流)を形成しているとは言えません。
”彼女がカタログに寄せたエッセイでもこれに関連する注釈を書いている。“彼らのイコノクラズム(因習打破、聖像破壊主義)は、作風や流行といった他者のいかなる基準をも拒絶するもので、ロマンティックかつ表現主義的な傾向があります。”
これらの具象作品はミニマリズムとフォトリアリズムに対する拒否反応であり、抽象表現主義への拒否反応であったポップアートとは異なる。タッカーに言わせれば、バッド・ペインティングは伝統的な価値観に基づいた芸術的な“開拓行為”を、時代遅れなメディウムとスタイルを使う事で回避しているのだ。
“これらのアーティストは、古典と一般的な美術史からの引用、キッチュと伝統的な図像、お約束と個人的な妄想、制作過程におけるコンセプトの排除など、全てをごちゃ混ぜにするという意味で自由なのです。”と彼女は解説する。
結局ジェニーは、バッド・ペインティングをいくつか残してその作風を辞めた。それでもタッカーによって創られたこの用語は未だに使い続けられている。
ドイツ人アーティストのアルベルト・ウールンがこのニューミュージアムの展示について知ったのは80年代で、その頃の彼はまだ学生だった。“その名前が好きだったんですが、数年後にはもう誰もこのスタイルをやってないことに気付きました。それでも私にはとても印象深かったのです。” と2009年のインタビューで回想している。
その頃ウールンは、共謀者のマルティン・キッペンベルガーと共に、 Morning Light Falls onto the Führer’s Headquarters (1983) や Self-Portrait with Shitty Underpants and Blue Mauritius (1984)といった作品によってアートワールドに衝撃を与え、皆の度肝を抜いた。これらの下品で挑発的なモチーフは粗雑に描写されており、ウールンが1983年に描いたオランダ人女性としての自画像はキッペンベルガーから最も高い評価を受けた。“これより酷い絵を描くのは不可能だ!”
バッド・ペインティングは1991年、メトロピクチャーズにおいてアウトサイダー・アートと出会う。カリフォルニア出身のアーティストジム・ショウは数十年をかけてリサイクルショップやフリマで絵画を収集して、最終的にそれらを“Thrift Store Paintings”(リサイクルショップ絵画)というタイトルの展示で披露した。“女性と座る股下のない男”から“サイコレディ”まで、ショウがタイトルを付けたこれらの絵画は、制作過程で愉快なほどに失敗してしまっている。
ショウはこれらの絵画を“unquantifiable”(数値化不可能)と称した。この言葉はおそらく、ボストンのミュージアム・オブ・バッドアートに共鳴したものだろう。
この美術館は1993年に創立された施設だが、単につまらないだけの作品は収蔵しておらず、“優れた技術によって描かれた訳のわからない絵画”を探し出している、とキュレーターのマイケル・フランクは語った。
ショウのリサイクルショップ絵画の作者達とは違い、美術史における“バッド・ペインター”達のほとんどは優れた技術を持っている。
彼らは意識的に心地良い作風・印象を無視する選択をしたのであって、常に直感的に描いている訳ではない。
例えばジェニーはバッド・ペインティングにむず痒さを覚えて修正した、と語った。“私は当初、「何が起きてもそれを許容する」と言っていましたが、少年を描いていたときに草原から滴ってきた絵具が、顔に思い切り乗ってしまいました。”
ルールとしては、そのままにすべきだと分かっていた。“だがよく観ていると、「ちょっと待てこれは違うぞ、やり過ぎだ。折角の雰囲気を壊している」と気付いて、乾燥前に全て拭き取ったんだ。”
そこには何か、余りにもバッドな要素があったということだ。
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