【意訳】ネットアート、ポスト・インターネットアート、ニュー・エステティクス:インターネット上のアートの基礎知識
Net Art, Post-internet Art, New Aesthetics: The Fundamentals of Art on the Internet
Clip source: Net Art, Post-internet Art, New Aesthetics: The Fundamentals of Art on the Internet | by DANAE | DIGITAL ART WEEKLY | Medium
By Marie Chatel
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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ウェブは私達の日々の生活と社会的関係性に大きな影響を与え続けている。インターネット文化とそれに関連した芸術的創作物の重要性も、もはや疑う余地はない。ライゾームは最大規模の展示、The Art Happens Here をニュー・ミュージアムで開催し、過去2年間で制作された16の作品と100のオンライン作品を展示した。ネットワークメディアの場はキュレーションにおいても今までになく存在感を増している。だが改めて考えたい。インターネット上のアートについてよく語られる話題:その中心的コンセプトや基本とは何なのか?
ネットアート
ネットアートはある短期間にだけ流行ったインターネットを参照したアートのように聞こえるが、それは間違っている。この用語は“ネットワークアート”に関連した作品を指す意味が強いのだ。
つまり、1970年代後半にエンドユーザー向け情報処理システムやビデオテックス(フランスで言うミニテル)が登場したと同時に、アーティスト達が探究を始めたアートだ。
アーティストのエドゥアルド・カックはこう説明する。“これはネット文化について語る際にありがちな誤解です。皆はインターネットのことばかり考えていますが、私にとってこれは歴史的現象です。未来ではまた別のネットワークがインターネットの座を奪っているでしょう。”
例えばReabracadabra (1985) でカックはインターネット以前の電話回線接続をメディウムとして使い、詩の共有と言語の限界の探求をおこなった。“アブラカタブラ”というひとつの言葉が、コミュニケーションネットワーク上でどんな働きをするのかに注目したのだ。
オリア・リアリナのMy Boyfriend Came Back From the War, 1996(戦争から帰還したボーイフレンド)はインターネットを使った双方向性のある作品で、ユーザーが画像をクリックする度にウインドウが分割されて増えていく。
Web 1.0を探究するなかで、リアリナはオープンネットワークにおける情報の再構築や、インターネット上で芸術言語を明確に述べる方法に着目したのだ。インターネットアートは、90年代に制作されているか、我々がWeb 1.0と呼ぶ領域(固定されたページだけで、ユーザーインターフェイスを持たない時期のWeb)を扱うネットアートのことだ。 だが、キュレーターのオマール・コレイフはこうも主張する。“変化の増大は、確定した文化の捉え方すらも急速に時代遅れにしてしまう。ネットアートは現在、どうしようもなく、古臭い、マヌケでダサいものだと感じられている。”
おっと、、、では、今、何がコンテンポラリー(現代的)なのか? それはポスト・インターネットアート(インターネット以降のアート)とニュー・エステティクス(新しい美学)だ。
ポスト・インターネットアート
2006年、マリサ・オルソンは自分の作品をインターネットと関係ないものと区別するために、“ポスト・インターネットアート”、そしてその妹的フレーズ “アート・アフター・インターネット” ということばを造語した。彼女はオフラインの制作のために、オンライン・コンテンツを原料として扱っていたからだ。
たとえば1990年代のオリア・リアリナは、芸術言語をインターネットに当てはめようと開拓していたが、2000年代中盤からの彼女は、オンラインに関するコンテンツのキュレーションに焦点を合わせている。このタイプのアーティストの作品を、他のアーティストと同様の文化的創作物として扱っているのだ。
だが、“ポスト・インターネット”という言葉の使われ方は変化して、現在では何かの前と後を明確に区分するのではなく、Web 2.0へと技術的移行が徐々に進んでいる状況を表す言葉となっている。
ユーザーがリアルタイムでコンテンツをシェアできる動的なインターフェイスの登場(例えばブログやFacebook(2004)、Twitter(2006)などのSNS、より重要なのはYou Tube(2006))、加えて2007年にiPhoneが初めてリリースされたことで、インターネットは世界中に偏在化した。
“アーティストとアートはネットワーク・カルチャーに完全に浸かっており、もはや傍観者の立場ではいられない。” マイケル・コナーはそう語る。その大きな違いはアーティストの立場の違いにある。現在はインターネットの役割だけに着目せず、他の参加者と同様にWebコミュニティに貢献しているのだ。
Fag Face Maskは特に、AIは顔の特徴から性的指向を認識できるとした科学的調査を参照している。Web2.0は、もはやインターネットの“外側”が存在しないのが特徴だ。それがポスト・インターネットアートの万能性に対する興味深い問いかけとなっている。アーティスト・キュレーターのザック・ブラスは、コントラ・インターネット・エステティクスというエッセイの中で“ポスト・インターネット”という用語を“無の記述”だと評している。“(疑似)集計”や“飽和”を含む過激さの希薄化は、インターネットやデジタルの罪深さ、政治性、サブカル性を語る際の語彙の少なさから来ている。
彼が言い表したように、“ポスト・インターネットアート”という言葉は盲点を見える化する形式的な道具に過ぎず、その得異性と独自性を表現できていないのでは?アートの現代性について考える難しさが端的に現れているだけではないか?
ニュー・エステティクス(新しい美学)
ニュー・エステティクスとは、2012年に存在感を増した、インターネットとデジタルテクノロジーの普及によるバーチャルとフィジカルの融合を指すことばだ。美学は通常、物体の視覚的外観を参照するが、この言葉を開発したジェームス・ブライドル(コンピューター・サイエンスとAIの学術的専門家)は、芸術作品の基礎を成すシステムが注目されることを望んだ。
作品がどうやって生まれ、どうやって進化するのかの問いを通じて、ブライドルは我々がこれらの作品をスクリーンショット、ビデオシークエンスといった不完全な表現によって部分的に理解しているのだと言及した。
ほとんどの場合、ニュー・エステティクスはネットワークそのもの、ライゾマティック(地下茎的)構造と機能様式をレヴューする。これらの技術的装置は、アートを把握するためにより重要になっていくだろう。
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