見出し画像

キーホルダー|#4

冬の寒さが少し緩んだような、日差しが降り注いでいる。
今日は、いつもの公園に行く前に、隣町にある図書館に行くことにした。

普段使わないバスに乗り込み、車窓から流れゆく景色を目で追う。


わたしの前には、同じぐらいの歳の女の人が座っていた。
カバンには、有名なゲームのキャラクターのマスコットが、バスの振動とともにゆらゆらと揺れているのが見える。


かわいいな。わたしも、あのゲーム知ってる。


思わず声をかけたくなったが、ここはバス。ましてや、見ず知らずの人に話しかける勇気なんてない。
むしろ、話しかけられた方もびっくりしてしまうだろう。
そう思い、そっと彼女のキーホルダーを眺めていた。


ふと、持ち主の方に目をやると、こっくり、こっくりと彼女の頭が揺れているのが見える。どうやら、眠ってしまっているようだ。


今日はこのまま夕方まで図書館で本を漁る。公園のお姉さんも、今日は用事があると言っていたから、図書館が終わったらそのまま帰るつもりだ。


一日の流れを頭の中で反復していると、車内にバス停の接近を知らせるアナウンスが鳴る。

わたしの降りる駅は、二つ後だ。


ゆっくりと減速し、駅前のバスターミナルに侵入したバスは、バス停の前で停車する。それと同時に自動で扉が開いた。

駅前のバス停だからか、たくさんの人が降りる。さっきまでの人の密度が一気になくなり、車内にはまばらに人が残っていた。


最後の乗客が降りようとした時、がばっと彼女が起き上がる。
どうやら、ここで降りるようだった。
大慌てで座席から立ち上がり、ドタドタと昇降口に向かう。

すると、さっきまで彼女のかばんで揺れていたキーホルダーが、ぷつんっとかばんから離れ、スローモーションのように地面に叩きつけられるのを見てしまった。


もちろん、彼女は気づいていない。乗客の様子を確認する運転手がミラー越しに見える。わたしの足は地面を蹴っていた。

こちらを寂しそうに見つめるキーホルダーを猛ダッシュで拾い上げて、バスを降りる。


あたりを見回すと、かばんを整えている彼女の姿が、数メートル先に見えた。歩いているから、十分追いつける距離だ。

少し小走りで彼女に駆け寄り、「あの!」と声をかける。

ビクッ!と音が聞こえそうなほど驚いた彼女は、恐る恐る振り返った。


「あの、この子、落としてましたよ!」


そう言い、手に握っていたキーホルダーを見せると、にわかに嬉しそうな表情に変わった。
「あ……!わざわざ、ありがとうございます…!」
わたしはにっこりと微笑み、彼女の手にそっとキーホルダーを乗せた。


「それじゃ」と立ち去ろうとすると、彼女がわたしを引き止める。

「あの!バス、降りちゃいましたよね……!バス代……」


確かに、わたしの行き先は図書館。しかし図書館は別のバス停なので、別でバスの料金がかかってしまう。

あわあわとする彼女に、少し笑いそうになってしまった。
おずおずと、彼女はこう続ける。


「あの、そこにあるカフェで、お茶しませんか…?お代はお出ししますので……!」


必死な彼女を見ていたら、断るにも断れなくなってしまった。

きっと、キーホルダーを落とした様子を見ても、無視するかバスの運転手に届ける人が大概だろう。
わたしが勝手にバスを降りたのだから、バス代なんてむしろ気にしてなかったぐらいだったが、彼女があまりにも必死なのでご一緒することにした。


快く承諾すると、彼女はわかりやすいほどに安堵の表情を浮かべ、「じゃ、じゃあいきましょう……!」と駅前にあるコーヒーショップに導いた。


平日の昼間だからか、人はまばらだった。彼女はよくあるデザートドリンクを頼み、わたしはホワイトモカを頼んでもらった。
キーホルダーの話を交えて、わたしもそのゲームが好きだと話すと、彼女は食いつき、話に花を咲かせる。


彼女の飲み物とわたしの飲み物がなくなる頃、彼女は突然ハッと表情を変えた。


「あの、予定とか大丈夫でしたか……?つい楽しくてお引き止めしてしまいました……」


ぐるぐると落ち込みモードに入りかけている彼女に、「特に用事はありませんよ」と言うと、みるみる安心したような素振りを見せる。

「よかったら、これ」とSNSの連絡先を教えると、彼女は嬉しそうにフォローを返してくれた。


コーヒーショップを出ると、彼女は丁寧にバス停まで見送ってくれた。
図書館行きのバスが到着し、わたしがバスに乗り込む直前に彼女は「また、遊んでくださいね!ゲームでも、リアルでも!」と言い、笑って手を振った。


わたしもうなずき、笑って手を振り返す。
そして、バスが見えなくなるまで、手を振り続けていた。


なんだか、不思議な邂逅だった。
それでも、初対面でもこんなに楽しいと思えた。

また、彼女に会えますように。
SNSを開き、彼女にお礼のメッセージを送ることにする。


彼女に思いをはせながらメッセージを打つわたしの心には、一足はやく春の陽気が訪れ始めていた。



※アイキャッチ画像に素敵なイラストをお借りしています。ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?