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拝啓 カンボジアの子どもたちへ

先日、私はテンプレみたいな恋に終止符を打ったわけだが(詳しくは「テンプレみたいな恋をした」をご参照ください🙇‍♀️)、今回はその中で生じた予期せぬ社会貢献に関して語りたいと思う。

先日のエピソードにて、私は淡々と事実のみを語っていたのだが、受け取った荷物の行方についてまったく記述していなかった。

さて、その荷物はどうなったのか?

正直なところ、
見るたびに嫌な記憶が呼び覚まされる
相手の匂いが微妙に残っているのがしんどい
そもそも使いかけで残量が少ない
などにより、嫌なものは極力捨ててしまいたかった。

しかし、SDGsが叫ばれる今日。
しがない失恋女のわがままで環境破壊に手を貸すのはいかがなものか。
かすかに残った罪悪感が脳内を駆け巡る。

環境に良くない、でも手元に置きたくない。
私は[自身の心の声]と[世界が抱える問題]という途方もないスケールの狭間で葛藤していた。

そんな折、ふと私は、天才的な案を思いつく。

「あ、このパジャマ、ユニクロだ」



ユニクロは、着なくなったユニクロ製品を回収し、リユースやリサイクルを行っている。
ホームページを見てみると、笑顔の女の子の写真と共にこんな言葉が載っていた。

もう着なくなった服が、誰かの特別な一着になる

(ユニクロHPより引用)

これだ!

私はこの言葉を見た瞬間、足早にユニクロへと向かった。

忘れ去りたい思い出の服が、カンボジアの子どもたちの笑顔に変わる(かもしれない)。
我ながら素晴らしいアイデアを思いついてしまったとワクワクした。
ボックスにパジャマを投げ入れる私は、きっと義援金を寄付するかのように得意げな表情だったに違いない。今考えると心底恥ずかしい。知り合いに見られていないことを全力で願っている。

拝啓 カンボジアの子どもたちへ

向春の侯、いかがお過ごしでしょうか?
別に私の服を着るからと言って、喜んでくれとか、笑顔になってくれとか、そんな烏滸がましいことは言いません。ただ、私がリリースした服をもし着る人がいるのなら、その人には私が経験できなかった分まで幸せなことがたくさん起きるといいなと願うばかりです。

敬具

心底どうでもいいことを長々語ってしまったが、要するに私は、
「どこかの誰かに貢献した」
という圧倒的事実を作ることで、自分の行為を正当化したいだけなのだった。つくづく自分の器の小ささに呆れる。

しかし、もしも今後、
私と同じような思いをしてしまう方がいた時に、

「あ、この服、ユニクロだ」

と思ってもらえるなら、この戯言にも意味が見出せるはずだ。その時は是非、こっそりその旨を教えていただけたら幸いである。

改めて、
ありがとうユニクロ。
幸せになれよ、カンボジアの子どもたち🇰🇭

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