書評・感想文【回想のすすめ】
2022.1.11
書評【回想のすすめ】
1 この本を選んだ理由
定例の火曜日、光の森ゆめタウンに買い物に行った際紀伊国屋書店で散策し、五木寛之の【回想のすすめ】を買い求めた。五木寛之の【サンカの民被差別の民】が良かったからだろう。
2 基本となるデータ 著者、タイトル、発行地、発行所、発行年
五木寛之 【回想のすすめ】 中央公論新社 中公新書ラクレ 2020.9.10
豊潤な記憶の海へ 敷石をはがせ。その下は、回想の海だ
3 著者紹介
五木寛之
1947年引き揚げ早稲田大学中退 【蒼ざめた馬を身よ】直木賞 【モスクワ愚連隊】小説現代新人賞 【青春の門 筑豊編】吉川英治文学賞
4 本の内容
1⃣ 目次
第1章 回想の力を信じて
第2章 回想の森をめぐって
歴史とは時代の回想である
過去を回想するのは高齢者の特権
思い出が「見えない歴史」を作る
回想を忘れた現代人
モノには思い出が詰まっている
回想の引出しをあけて
記憶は無尽蔵の資産
回想力は生きる力につながる
人々は「物語」を買っている
回想はトレーニングしないと錆びついてしまう
第3章 回想・一期一会の人々(抄)
ミック・ジャガー キース・リチャード モハメド・アリ ヘンリー・ミラー プラート・オクジャワ ロレンス・ダレル フランソワーズ・サガン 川端康成 石岡瑛子 阿佐田哲也
第4章 薄れゆく記憶
記憶の曖昧について
アルバムを持っていない
五才かそこらまでしかさかのぼれない――記憶
初期の記憶は当時の朝鮮の寒村でのこと
京城でのスケートの記憶
少年飛行兵になる夢も
ボケない工夫よりも
記憶はAIで捕えればいい
ボケの達人を目指してみようか
極地でも耐えられるのは
ボケた人を排除しない社会
昭和は遠くなりにけり
漢字再記憶計画
記憶が遠くなりやすい現代
5 評価 今後参考になる点
総合評価 A
1 ⃣帯が長いのはいい 高齢者向か
ひとりの過去の歳月をふり返る――。それは、誰にも侵すことができない豊穣の時間である
不安な時代にあっても変わらない資産がある。それは人間の記憶、ひとり一人の頭の中にある無尽蔵の思い出だ。年齢を重ねれば重ねるほど、思い出が増えていく。記憶という資産は減ることはない。歳を重ねた人ほど自分の頭の中に無尽蔵の資産があり、その資産をもとに無限の空想、回想の荒野のなかに身を浸(ひた)すことができる。これは人生においてとても豊かな時間なのではないだろうか。最近仕切りに思うのだ。
回想ほど贅沢なものはない。
2⃣オルテガ・イ・ガセットの【大衆への反逆】 岩波文庫 佐々木孝訳 P15
新しい文庫本をめくりながら、ふといろんな人の思い出してしまった。一冊の本は回想の依(よ)
り代(しろ)『神霊が依りつく対象物 神体』 のようなものだ。 一行の文章から次々に過去の出
来事が浮かびあがってくるのである。ページをめくるのも忘れて、そんな古い記憶に思う存
分ひたることができるというのも、コロナの功徳といえるかもしれない。
3⃣人は誰でも豊穣な記憶の海をもっている。広く、深い記憶の集積のなかから、いま現在とつながる回路を手探りする「記憶の旅」が回想の本質だ。P16
4⃣涙がでそうになるほどおかしな失敗の記憶がある。思い出すたびに胸が熱くなるような体験もある。回想は力だ。どうしようもない閉塞感から抜けだすヒントでもある。
人間は誰でも苦い思い出と同じぐらいプラスの想いでの量をもっている。それを掘りおこして、まざまざと実感することをしなければ、いつか記憶は錆びついて呼びおこすことが難しくなってくる。 P21
5⃣戦後七十年の年月が流れ去った。いまでは実際に戦争の記憶を実際の体験としておぼえている人は少ない。あと十年すれば、想い出としてみずからの実体験を語ることができる世代はいなくなってしまっているではないか。さらに、一般に高齢者の昔話は嫌われることが多い。
「おじいちゃん、その話はもう百篇もきいたわよ。次はこうなって、そして最後はこうなるのよ」
千篇一律のお定まりの話は、だれしも退屈なものだ。まして自慢話めいた懐旧談『昔のことを、なつかしく想い出すこと』など誰も聞きたくはないのである。何を話すかは語る側にも問題があると私は思っている。何を話すかは、その時の場の状況に応じて選択しなければならない。視点を変え、話の構成を工夫する必要がある。必ず新しいエピソードを挿入し、ときにユーモアをわすれない。そんなふうに努力して語られる想い出話は、決して退屈ではないはずだ。P23
6⃣人は忘れようとして忘れることのできない記憶もあるが、その反対もある。回想の回路を絶てば記憶は消える。そして二度と帰ってくることはない。
いま私たちに迫られているのは、昭和という時代の記憶を呼びさますことである。そしてそれを次世代に伝えなければならない。回想が前向きの行為だというのは、そのためなのだ。P36
7⃣【少年兵よ、達者で】
8⃣孤独の中で自然と対話しつつ生きる、というスタイルもあるだろう。しかし、私はやはり人間は人交わるほうがいいような気がしている。有名な「十牛図」で、悟りを開いた人は最後にどうするか。風月を友として山中に過ごすのではない。最後は「入してん垂手」、すなわち市井にもどり、人ごみの中をフラフラ歩いている姿が描かれている。しかし、必ずしも人交わる必要はない。いろんな小説や雑文を読むことも、人のつきあいである。本を読む。歌をきく。それも上手にボケる大事な方法なのだ。
9⃣人々は考えることや悩むことに疲れている。できるだけ軽やかに笑いながら生きようと願う。
平成ほど(笑い)が氾濫した時代はなかった。それに先立つ昭和は〈涙と悲しみ〉を歌う時代だった。「昭和枯れすすき」の歌声は、その暗部を反映している。
昭和はとりあえず、戦争の過去を背負って、精算をはたした時代だった。歯を食いしばって払ったのだ。そんな時代が遠ざかっていく。降る雪や――と、ひそかに呟(つぶ)くしかないのである。
6 批判
回想・一期一会の人々(抄)では川端康成のほか名の知れた人たちだろうとおもう。
ここには、名の知れぬ人たちとの交わりの話も聞きたかった。