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直感と理屈、どっちが”正しい”?

『迷った時は直感に従いなさい』

直感に従う?

人生における大事な選択に迫られた時に一度は人から言われたり、書籍や映画の中で目にしたことがある言葉ではないでしょうか。

理論

他方で

「なんとなく直感が大事ってのは分かるけど、直感だけで行動するのは怖い。やっぱり理屈なしでは無理でしょ」

と思う人が大半なのではないかと思います。

企業研修や学校現場でのアントレプレナーシップ教育に携わる中で、長らく私もこの二つの力のうちどちらを大事にしていくか、悩みに悩んできたことがあり今回のブログを書くに至ります。

これまでの社会構造は長らく理屈・分析・データなどのいわゆる「科学的アプローチ」によって構成されてきたことは間違いありません。その為、誰もが人生のありとあらゆる場面で過去の実績や脈々と受け継がれる人々の経験談や経験則に左右されてしまいます。

大学受験で第一志望に受かる為の勉強では常に現時点での偏差値という自分以外の人の成績の集合体をベースに現時点での合格確率というものを出して、それをベースに自分の可能性を良くも悪くも枠組みの中に当てはめてしまいます。

私の場合、自分の人生を思い返した時に、人生の大事な局面ではほぼ全ての選択を自分の直感や感情に従ってやってきたので、逆に理屈を信じ過ぎる人たちの気持ちに対して長らく共感できていませんでした。

例えば第一志望として出会った大学ですが、この大学に行こうと決断した時の自分の学力はとてもじゃないですがその大学に届くようなものではありませんでした。でも実際に大学のキャンパスに足を運び、大学に通う先輩方に出会って「この大学に入学するのが自分の運命だ」と感じるようになりました。

結果として一番入りたかった大学に入ることが出来て、その選択に後悔はありません。

なので同級生や同じ塾に通う友人、受験にこれから挑戦する後輩たちが自分の現時点の学力をベースに大学選びや将来の選択をするのが不思議で仕方ありませんでした。

起業をすると決断する時も、起業を決めた瞬間に明確なビジネスモデルは描けていないどころか、マーケティングもしておらず、会社の理念も描いていませんでした。ただ、漠然と「目に見えないチカラ」がこれからの時代に間違いなく来るという直感を信じて、思い切って前職を退職して起業しました。

こういった行動は何も私に限った話ではなく、これまでの人生で関わってきた友人や社内外で作ってきたコミュニティで、直感や思い、情熱だけを頼りに自分の人生の新たな道を手繰り寄せた人に沢山出会ってきました。

過去の膨大なデータや自分の現在地から達成したい目標に対しての逆算ができることで便利になった側面も沢山ありますが、それらは目標達成の確率を必ずしも上げるものではないのではないかと思います。

普段多くの人が使っている意識の能力は僅か5%に過ぎないと言われています。発している言葉、能力、これまで出してきたアウトプットは皆さんのフルパワーの能力の僅か20分の1に過ぎません。

潜在意識は95%。

皆さんの周りでも突然「大丈夫?いきなりどうしたの?」と思って心配してしまうほどに、何かに熱中し始めたり、夢中になったり、取り憑かれたように何かにのめり込む人を目撃したことはあるのではないでしょうか。

本当にその道に進む覚悟が決まった時、「ねばならない」「こうすべき」というところの境地を越えて、

「今この瞬間、私はこれに取り組む為に生きている」
「ここで結果を出すことをもう”知っている”」

という感覚になります。オリンピック選手がメダルを手にする時の演技でゾーンに入るという言葉があるように、スポーツ・勉学・ビジネス・執筆活動・人間関係などあらゆる面でこれらのことは起こります。

全ての人が本来は最高の未来に向かって今を生きるポテンシャルがあるにも関わらず、過去に向かって生きているように見えてしまっていました。

また、時代が令和になり、これまで世の中において一般的に”正しい”と思われてきた概念や理屈、分析結果やデータ、”正義”と思われてきた組織や権力、安全だとおも追われてきた社会構造が揺らいできているのをなんとなく感じているのではないかと思います。

そういったこともあり、これだけの時代の変化が激しい渦中に身を置きながら、多くの人がなぜ過去の集合体である理屈や理論ばかりを信じて、感覚や直感、まだ目に見えていない非科学的だと言われているものに目を向けようとしないのだろう?という風に思ってしまっていました。

言い換えれば

『科学的であるという言葉を信じ過ぎる余りに、思考停止になっている』

と世の中に対して感じていたのです。

先ほどの潜在意識の話とも重なる話ですが、科学的であるというのはある現象を全て理解するための必要条件ではあって十分条件ではありません。科学的アプローチにも無数の道が存在し、置かれた立場や見方、前提条件が変わることによって分析結果が変わることはこれまでの歴史でも何度も証明されています。

科学的であるということを全面に出して、まだ世の中で不可思議だと言われている現象や事象を否定しにかかるのは傲慢であり、謙虚さに欠けるのではないかと思います。

その為、理屈や分析データばかりを全面に出して議論を繰り広げるビジネス現場やSNSやメディアでそれぞれの”正しさ”をぶつけ合う様子からはある一定のソーシャルディスタンスを置いていたように思います。

しかしながら、最近になってこの考え方にも軌道修正をかけていきたいと思うようになりました。

数年前から潜在意識の世界や企業の経営者のスピリット、まだ世の中の科学では証明されていない特殊能力を持った人に出会わせて頂いたことで、自分の世界を広げてもらったと思っていましたが、

新たな世界観を先に知ったことで、人より世の中のことを分かった気になっていた

ということに気付かされました。

沢山の方々に支えて頂きながら、企業の担当者の方に共感頂いたお陰様で、今は運よく「まだ目に見えていない人の潜在能力を拡大する研修」の講師として仕事をさせて頂いています。

これは本当に有難いことですが、

それは自分の能力が人より優れていたからではなく、それを人に伝える役割を与えて頂いているに過ぎない。

ということに気づくべきだったと。

実は直感や感覚、その逆に位置するように見える理屈や理論や実は二項対立に位置するものではなく、

直感や感覚という結論に合わせて、そこに無限の理屈や理論が存在します。

例えば企業で新規ビジネスを創る時、

「なぜそのビジネスに取り組むことになったのか」
「なぜそのビジネスを当社で実施しなければならないのか」
「なぜそこに新たな資金を投入する必要があるのか」

担当者の意図としては、その人の人生における直感や感覚、インスピレーションで決めているものですが、多くの人に共感してもらう、応援してもらう、安心してもらうために、それを理屈や理論で説明する必要が出てきます。

どれだけ意識や感覚に従って動いている企業の担当者も会社を起業する人も、この説明責任から逃れることはできません。

というよりも、理屈や理論を元に人に安心してもらったり、夢を見てもらうようにできるのであれば、それらも決して不必要なものではないんじゃないかと。

そして直感や感覚の力が鋭い人、理屈や理論に強い人、それぞれの能力にグラデーションが存在すること自体が魅力的で面白いんじゃないかと。

「直感や意識、インスピレーションの力を強く信じる人」

「理屈や理論、分析に力を入れてきた人」

この両者がバランス感を持ちながら、謙虚でいて、相手をリスペクトし合いながら共同創造することで本当の意味での新たな時代を迎えることができるのではないかと思うのです。

大前提として、これまでの土の時代から風の時代にシフトしている今、間違いなく

直感や感覚、意識などの「目に見えないチカラ」を信じる人がメジャーになる時代が来る

ことを私自身は強く信じています。これは私の直感です(笑)

しかしながら、その新しい時代に少なからず戸惑いを隠せない人が多数出てくることは想像に難くありません。

その為、新しい時代に身を置かせてもらいながらも、その時代に向けて不安を抱える方々の橋渡し役になることが与えられた役割だと信じて、理屈や理論にも逃げないように向き合って参りたいと思います。


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