そんなに綺麗な恋愛はできないのかもしれないと思った。 自分の幸せのために相手を想うのが恋で 相手の幸せために自分の気持ちをコントロールできるのが愛だと言うのなら 私は一生恋しかできないのかもしれない。 好きな人には好きって言いたい。 好きな人には好きって言ってほしい。 ほんのついこの間まで本当にそう思っていた。 でも今は少し違うのかもしれない。 今日は朝から体が動かなかったので仕事を休んで家で1日過ごしてた。 恋人のことで最近は頭がいっぱいだったけど今日は頑張らな
noteの記事を最後に書いたのがもう1年以上も前なんて。 最近Twitterをリスタートさせてよく好んでみる人たちが時たまnoteのリンクをツイートしてて、 あぁ私もやってたなぁなんて思って戻ってきてみた。 今は2023年の梅雨時期。 今の私の頭の中を大部分占領している悩みは恋愛。 恋人と付き合って今月で1年10ヶ月。 2週間前に恋人から倦怠期かもしれないと伝えられた。 付き合って1年半を過ぎた頃、1度大きめの喧嘩をしてしまった。 夢追い人である恋人の甘さに腹が立って
少し前に「親ガチャ」という言葉が流行った。 私は別に自分の両親に対して「違う親だったらな」なんて思ったことがないので、 その言葉が流行った時には、そんなことを言う人がいるのかぁってそれくらいだった。 でも今声を大にして言いたいのは、 私って肌ガチャに関しては大外れだなって。 ちなみにただいま花粉で肌荒れどころか肌大荒れ。 部屋の鏡にはカーテンかけて拭いにも顔が見れないようにしておる。 綺麗な肌になりたいなんて思わない。 だも肌によって仕事に行けないとか、まして
基本的にSNSは 追いかけなければ苦しむものではないと思っています。 追いかけなければ、ね。 追いかけちゃったんですよね、、 恋人の『今はもう使っていないTwitter』をね。。。 数ヶ月前にノリで教えてもらって なんでかさっき過去に遡ってしまったんです。 出てきましたよ〜。。。。 元カノとのLINEのスクショが。。 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。 内容も、、なんかちょっとオシモって言うか。 勝手に見に行って勝手に病んでます。 いくら交際中でもこん
2021年最後の日、 無事に20歳の誕生日を迎えることができました。 そして年が明けた1月9日に成人式を迎えました。 コロナで延期や中止になったところもあるようですが、ありがたいことに開催していただくことができました。 成人式、 色々な再会のシーンがありますね。 女の子はみんな垢抜けて綺麗になって、誰かわからなくなっちゃうようなこともありました。 まぁ、それ以上にびっくりしたのは野球部だった男の子。 髪の毛伸びるとあんなに変わるのね、、、。 流行りのセンター
恋愛って難しい。 そんなことを1人で夜寝る前に考えるようになった自分に 大人になったねって笑いかける自分もいたりなんかして。 好き同士なら無条件に一緒にいられると思っていた私が 好きだから離れる未来を不意にも考えてしまったり。 誰かと歩幅を合わせて進むことはとても難しくて それは、好きだからといって妥協できることではなかった。 まだ19歳。 好きな人のために自分の人生の設計図を大きく変えられるほど まだ自分の人生に諦めてないし、満足もしていない。 それでも
昨日、15歳の私から葉書が届いた。 15歳、ちょうど高校受験を終えた頃に20歳の自分に葉書を書いていたらしいい。 内容はもちろん、そんな葉書を書いたことすら20歳の私は忘れていたよ。 葉書を読んで1番に思ったのは、 いつだって考えていることはバレエのことだったんだね。 ということ。 でもそれだけじゃなかった。 15歳の私は、今の私のことが見えているかのようで、 「バレエの道に進んでいなくてもいい。ただ、したいことから逃げないで」 そう書いてあった。 20歳
悪口も陰口も、 噂話も、まぁアイドルの恋愛も 私は隠し通せば問題ないと思っている派。 せめて、私がその場にいたら言わないようなことは どうしてもそこで話す必要があるのなら なんとしてでも私の耳には入らないようにして欲しい。 だから私は本人に伝わって欲しくないような話は 家でしかしない。 LINEもスクショをされたら終わりだし、 電話も録音されたら終わり。 愚痴を言ってスッキリしたい気持ちよりも 寝たら忘れるような内容の愚痴で友達を嫌な思いにはさせたくない
私は生まれつきアトピー性皮膚炎。 幼少期から小学校低学年まで濃密にお付き合いをして、それ以降は高校生まではお別れをしていた。 アトピーが再発したのは高校2年生の冬。 何がきっかけだったのかはもう忘れてしまった。 ただ、気がついたら入浴の度に掻くようになって、 気がついたら血が出るようになって 「掻かない」と言うことが苦になっていた。 1つ前の記事でも書いたように 私は当時、プロのバレエダンサーを目指してバレエをしていた。 1番辛かったのはレオタードを着るのが
私は2001年の大晦日に生まれた。 21世紀生まれの私ももう20歳になる年になったようだ。 私は今まで生きてきた約20年間のうちの半分以上をあることに費やしてきた。 『バレリーナになりたい』 私が幼い頃に抱き、高校を卒業するその瞬間まで1度もブレず向き合ってきた夢だった。 でもそれは叶わなかった。 最後に受けたバレエ団のオーディションの結果はコロナの影響で延びに延びた。 私は高校を卒業するまでに次のステップが決まらなかったらバレエの道には進まないと高校2年生の時