私たちは映画館の片隅で待ち合わせをするように反抗期を過ごした
あの子はどこに行ってしまったのか。
心が追いつかない私の目の前にいたのは、苛々しながら口を利かない終始不機嫌な反抗期の息子。
それはまるで長く停滞する台風のように不安定で、それぞれその扱いづらさに戸惑いながら、じっと過ぎ去るのを待つしかなかった。
薄暗い中、私はその変化にだいぶ打ちのめされたけれど、息子本人も色々と大変だったことだろう。
思春期、反抗期の親子関係。決して珍しいことではない……しかし、もうあの悲しみは二度と味わいたくない。
当時、そんな私たち親子を唯一繋ぎ止めていたのは、映画館で映画を観るということ。
普段は近付くだけでも嫌がっていた息子だったが、どういうわけか映画館だけには何も言わずについて来た。
それは多分、上映中は話しかけて来ないという保証みたいなものがあったからだと思う。
息子の初めての映画はまだ2歳にも満たない頃。それから私たちは数え切れないほど映画館に足を運んで来た。
たまに息子の様子を見ながら観ていた時期はとっくに過ぎて、隣を見れば顔の高さが同じになった息子が「こっち見んな」の雰囲気を醸し出しながら前だけを見ている。
ポップコーンなんて名前からして母親と食べる気にもならなかったのだろう、私たちは無言のまま、ただ並んで映画を観て、終わったら速やかに帰るといった具合。
……味気ないようでも、私にとっては反抗期の息子と過ごすかけがえのない時間だった。
暗闇の中で照らされる、映像の光と影に反抗を忘れて引き込まれる純粋な横顔を、私は気付かれないように何度も目に焼き付けた。
何かあればその横顔を思い出し、大丈夫、大丈夫と心を立て直しながらなんとか反抗期を乗り越えようとしていた。
ようやく雲も取れて来た頃、映画に誘った彼の返事がいつもの「あぁ」とはちょっと違った。
「もういいでしょ」
「え?何が?」
「わざわざ観に行かなくても」
「なんで?行かない?」
「家で見ればいいじゃん」
「行こうよ」
「もう行かなくていいでしょ」
「え?まさか、付き合ってくれてたの?」
「まぁ、そう」
「なによそれ、早く言ってくれればいいのに。サービスだったとか?」
「そうサービス」
久しぶりの笑顔にほっと和んだと同時に、息子が私との距離をこんな風に取りながら反抗期を過ごしていたことを初めて知った。
無言でも、視界に入れなくても、息子は息子なりに、反抗期の息子として、私を気遣っていてくれたのだろう。
「親は子供を信じている」という言葉をよく耳にするけれど、子供もずっと親を信じながらいる。
不安を抱えた私たちは、映画館の片隅で待ち合わせをするように隣同士に座り、映画を観ながら反抗期を過ごした。
一番後ろで何度も目に焼き付けた、右端に座るあの真っ直ぐな横顔を私は一生忘れないと思う。