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8月6日、広島原爆の日が来るたびに思い出す話
私は薬局にいて外来患者に薬を交付する薬剤師だ。今からするのは約20年前の話。
そのおじいちゃんは、悪性腫瘍だった。だが高齢だったので進行も遅い。積極的治療なしの患者だった。毎月きちんと受診して降圧剤を取りに来られる。
ある昼下がりに、その常連のおじいちゃんが「ちょっといいかい」 と話しかけてくれた。
「わしのガンは、若い時に広島にいて原爆にやられたせいだ」
「……」
「わしがハタチのときだ。爆心地中心近くにいた…誰にも言わんでくれ、あんたにだけ言う」
爆心地中心近く?
マジ?
びっくりして聞いてみると本当に貴重な証言だった。過去我が国で原爆が落ちたのは2か所。広島と長崎だ。
そのおじいちゃんは、その爆心地にいた。
「その瞬間気を失っていてな。気が付いたらまわりには何にもなくて人間の形らしきものが散乱していた。わしの学友はみんな死んでいた。わしだけが生き残っていた」
爆心地のどこにいたのか聞くと◎◎だという。本人も記憶が部分的だという。でも全部地獄絵図だったと。どうやって他の生き残りの人たちのいるところに行ったのかもよく覚えてないという。
がんができたのは原爆のせいだと本人は信じている。冷静になった私は医療従事者として、原爆の被災者としての証明ができるなら被爆者手帳ももらえる。無償で治療も受けられるはずだと告げた。
するとおじいさんは血相を変えて、国に賠償などは求めないという。
「どうして?」と聞くとおじいさんが広島県にいたことは実はみな知らないからという。嫁も子も孫も知らない。
「家族にも黙ってるって、なぜ?」
おじいちゃんは口ごもっていた。それで、「いいですよ」、とかえすと衝撃の一言。
「わしが被爆者だとわかると孫の縁談に差し支えがでる」
「えっ」
「原爆の被害はそれはひどいものだった、しかし生き残った被爆者への差別もすごかった」
おじいさんの家族も全員原爆で亡くなっていた。岡山に移住してお嫁さんと知り合い子もでき孫もでき現在に至る。
誰もがおじいちゃんが被爆者であることを知らぬ。
あの時、あの瞬間に広島にいたことは誰も知らぬ。それでいいと。
某におじいさんの名をふせてこの話をしたら生き証人として取材させてくれという。だが誰にも内緒にされていたし守秘義務がある。教えられるわけがない。残念がられたがだがこういう話もあった、こういう人もいらした、ということでここに記録だけしておく。
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