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歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.132真面目美男子の阿弥陀様ちょっと休憩してみてね~の巻

おはようございます。

あ、タイトルは阿弥陀様になってますが、今回のご登場はお釈迦様なんです。

その経緯は読み進んでいただくと、わかりますです。汗。

今日は曇りの板橋区です。

昨日は池袋であるブログの立ち上げのボランティア活動と銭湯行こうかどうしようか、モゴモゴしてたら、結構強く雨も降ってきたので、銭湯+お地蔵さんのコースは断念し、前に取材済みの世田谷の九品仏浄真寺について、ご報告させていただきます。

九品仏浄真寺とは、

本当に最近のウキペデちゃんは、詳しく書かれていて、勉強になります。このお寺には阿弥陀様がたくさんいらっしゃるのです。

また、今回、私、阿弥陀様と思って描いたのは、実はお釈迦様でした。

それで、阿弥陀様とお釈迦様って同じ?いや、違う仏様?ん?って素朴な疑問が生まれて、また、検索してみると・・・

https://1kara.tulip-k.jp/wakaru/201104324.html

こちらにも、詳しく、書かれていて、勉強になります。

お釈迦様の先生が阿弥陀様でいらっしゃるんですね。

う===奥ふかし、仏教。

さて、九品寺には東急大井町線に乗って行きます。

東急線って、やっぱ、おしゃれだな~って思っちゃいます。

ベンチ一つとっても、カラーといいフォルムといい、恰好いい。電車に乗っている方々のファッションもおしゃれです。

申し訳ないけど、秋田出身の私には、たまに、恰好いい感じのフリしに行く感じの町でもあります・・・。とほ。

私は三田線の板橋エリアが性に合っているかも・・・笑

ここで多くは語るのはやめましょう。

さて、

歩き歩き

到着。

東京都の都会にこのような癒し空間が~緑も多くとても気持ちがいい。

共生(ともいき)

自然や社会と共に生きる

そして

過去・現在・未来へと

つながる「いのち」とも

共に生きる

いいな~

お寺さんの言葉っていいですよね~。

閻魔大王さんがいらっしゃって、浄財を入れさせていただいくと

ふと~~い声で、

「倒れてでもいい。だが、倒れて起き上がらないのはいけない。過去は変えられない。未来はまだ来ていない。今を切に生きろ」

って

ジーン。染みるぜ~。今なんだぜ~。って。

閻魔さんの絵を描いての会話もいいかな?と思ったのですが、やっぱり怖い顔描くのは嫌なんでやめました。

怖いのも優しい表現っていうの、、、、あまり得意ではないです。

やっぱり優しい態度でいることが大事に私は最近思うので・・・ごめんね~閻魔さ~~~ん。

ということで、本日は、

本尊の釈迦牟尼如来様を描かせていただきました。

参拝させて頂いた時、💛どきゅんしました。

だって、めっちゃ美男子じゃないですか?

眉毛と目と口元といいバランスでいらして・・・惚れますね~

ということで

私が描くとこのような感じでございます。

では、お釈迦さ~~~ん(きゃ、偉いお方に気軽にお釈迦さ~~~んなんて~~~)よろしくお願いします~~。

「はい~。じゃじゃじゃじゃ~ん。私がお釈迦さんでございまする~」

「お釈迦さん~。私、お釈迦さんの師匠が阿弥陀さんだって、さっき知りました」

「そうなんです。阿弥陀さんは他の惑星の仏さんで、僕は地球の代表の仏様なんです。阿弥陀様が宇宙の光の力を持っているんでする~。

以下、さきほど、紹介しましたブログ

https://1kara.tulip-k.jp/wakaru/201104324.html

親鸞聖人と浄土真宗から引用です。

        ↓

阿弥陀仏の2つの特徴について説明しますと、

光明無量とは、まず光明とは仏教で仏さまのお力をいいます。

『親の七光』といえば、親の威光、親の光のことを表すように、光明とは仏さまのお力のことです。

阿弥陀仏のお力は、他の仏さまの力よりもずば抜けていますので、無量のお力の仏=無量の光明をもたれた仏=光明無量の仏といわれます。

寿命無量とは寿命に限りがないということで、阿弥陀仏のお力が永遠に途切れることがないことを教えられています。
阿弥陀仏のずば抜けたお力とは
阿弥陀仏のずば抜けたお力とはどんな力なのか。親鸞聖人は教えられています。
無明長夜の闇を破し
(むみょうちょうやのやみをはし)
衆生の志願を満てたまう
(しゅじょうのしがんをみてたまう)
『無明長夜の闇を破るお力だ』と言われています。

無明長夜の闇とは、無明の闇(むみょうのやみ)のことです。

阿弥陀仏の力とは、無明の闇(むみょうのやみ)を破る力、無明の闇をなくする力であると教えられています。
無明の闇を破る力とは
無明の闇とは私たちの心にある暗い心で、親鸞聖人は『無明の闇がすべての苦しみの根元である』と教えられています。

私たちは幸せを求めて、日々あくせくと働き、欲しいものを手に入れようと努力しています。
しかし無明の闇という暗い心があるから、どんなに物に恵まれ、生活が便利になっても、心から満足することができないと教えられます。

この苦しみの根元である無明の闇が破れると、苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わり、心から満ち足りた本当の幸せになれますので、本当の幸せになれない原因は、無明の闇という暗い心があるからだと教えられています。

そして、無明の闇を破る力が阿弥陀仏の力であると明らかにされています。

親鸞聖人は、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の冒頭に
無碍の光明(むげのこうみょう)は無明の闇を破(は)する慧日(えにち)なり
と別の表現で書かれています。

無碍の光明とは、阿弥陀仏のお力のことをいいます。

無明の闇を破る阿弥陀仏のお力を『本願他力(ほんがんたりき)』また『他力本願(たりきほんがん)』と言われます。


お釈迦さま(釈迦如来、釈迦牟尼仏)と阿弥陀仏(阿弥陀如来)は違う仏です。

阿弥陀仏は大宇宙のすべての仏の師匠、先生の仏です。

一方でお釈迦さまは大宇宙の仏の一仏ですから、阿弥陀仏とお釈迦さまの関係は、阿弥陀仏が師匠で、お釈迦さまが弟子になります。

それだけ阿弥陀仏が称賛されるのは、阿弥陀仏の力が他の仏と比べてズバ抜けてすごいからです。

どのような力かと言いますと、私たちの苦しみ悩みの根元である「無明の闇」を破る力です。

この無明の闇を破る阿弥陀仏のお力を「本願他力」とか「他力本願」と言われます。

以下は、少し難しいですが、仏典のお言葉の根拠を知りたい方は、お読みください。
無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして
諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり  (大無量寿経)
諸仏の中の王なり
光明の中の極尊なり
光明の中の最明無極なり (大阿弥陀経)

ということなのです。

なので、私は阿弥陀さまに、いろいろ教えていただき、地球のために仏になったのです」

「奥が深い。知らないことばかりです」

「そうなんだよね。仏教ってさ、宇宙連合の話なんだって案外知らないのね」

「宇宙の話にして、もっと、キャラクター展開したら、いいんじゃないですか?」

「ま、昔の人たちはそう考えたから、僕のように仏像化しているんだろうね~」

「う~~ん、奥深いな~」

「宇宙は平等だから。ちゃんと落ち着くから。心配しすぎず、今を切に生きろだからね」

「あ、さっきの閻魔さんの言葉だ~」

「怖い顔しているけど、いい人なんだよ。損な役回りなの。かわいがってあげてください」

「はい。では、そのうちに絵でご登場いただけるように、私の心の心構えを整えないとですね」

「そうそう」

「あ、お釈迦さんに、今日は食べていただきたいのがあるんです」

「え?なに?」

「豚汁なんですけど~。冷蔵庫の残りものなんですがね。ゴボウ茶で基本ベース作ったので、ゴボウの出汁が効いて美味しいのですよ~。豚さんって食べちゃだめなの?」

「イスラム教では厳しい戒律があるけど、、、仏教では、ま、今のお坊さんも豚肉たべているよね~。ん~勉強と思って、その豚汁とやらを食べてみましょうかね?」

「はい。ぜひぜひ~」

「どれどれ~では。もぐもぐもぐ」

「どうでしょうか?」

「む。むむむ。むむ。むむ。む~~~~ありゃ~~~~~。いいわ~」

「何が?」

「肩こりが軽くなった~。幽体離脱的~~~~かるぅ~~~」

「あ、でしょ。ビタミンB1など、もろもろ、実は体にいい成分がいっぱいなんですよ~」

「お~~~~。ありがとうね。凝りほぐれたっす」

「はい」

さて、お釈迦さんとの語らいも楽しかった九品仏寺でしたが、猫しゃんも~~~

あわてて、どこかに急ぐ猫

見ると地域のかたがたが、ちゃんと去勢をした上で、午後3時から4時頃には猫しゃんたちに餌を上げているのだと、地域の猫見守り隊のお父さんがお話してくれた。

こちらの猫は当初、人になつかず、噛んだり、爪でキックしたり、大変だったらしい。

けど、ちゃんと食事をいただけるとわかってから、落ち着いてくれたのだって。

良かったね。猫しゃん。

いろいろ、お寺やお地蔵さんにお会いに行くだけで、物と見る世界が広がってきている私。

ずっとずっと更新続けたいと本当に切に思います。

今を切に生きろ。

はい。

今日も最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。

心から感謝申し上げます。

ありがとうございます。

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