歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語 VOL.14豊島区椎名町駅すぐ近くの「マンガ地蔵」
おはようございます。14回目に突入です。わ~い。おめでとう。ありがとう。今回は私のソウルタウンにやってきました。
以前、抗がん剤治療中に医師から「今後は何があるかわからないから、身内と一緒に暮らしてほしい」とお願いされ、昨年の3月から9月まで、椎名町と東長崎にて息子と生活しておりました。
息子はとても優しくイケメンなのですが(親が言うか?おいおい)ある時「すみませんが9月中に出ていってほしい」とメモ一枚置かれ、親子同居生活は突然に破綻し(笑)、心の中でのいろいろの整理整頓に時間がかかりました。まず「あんなに優しかった息子がなぜ、突然にこうなるの?」と「え?」青天の霹靂てこんなこと言うのかな?
それで、その時の様子も絵で描いてあるのですが(そのうち、このnoteで発表してもいいかな?)絵で心を表現していくうちに、子どもたちの心も見えてきたのでした。
「お母さんがガンになってしまって、優しくしなくっちゃって思って、けど、生活のリズムも違うし、いっぱいいっぱいになってしまったんだ」って。
別居のことを正面から言うと親の私はきっと「え~親不幸している~。私いつ何が起きるかわかんないのよ~」って別々に暮らすことを否定したと思うのですね。それで、娘(姉)と息子(弟)と二人で相談して、母には「断崖絶壁で落ちてもらいましょう。その方法が母にとっても一番だ」って決行されたのでした。ライオンは子どもを崖から落とし、這い上がるのを待ちますが、我が家は逆パターンでした。爆笑。
さすがに、その時は「子供に捨てられた親」って感じで、シングルマザーで「こんだけ一生懸命に育ててやったのに~」って、怒りモード炸裂の私でした。また、その時はまだ、ガンは進行性であるとはわからず、すっかり治ったと思ってたんですね。で、しばらく一人での自活のために介護の勉強をし、いざ、仕事に就くとなった時点で医師から就業のドクターストップがかかりました。
「進行性ガンだから、働いてはダメです」と。
それで、二回目の抗がん剤治療をし、それが、本当にきつくって、死ぬかと思いました。
けど、今、生きている。
死ぬほど、痛かった抗がん剤は中止になって、
生きている。
なので、なんていうのでしょうか、すべて、有難いことの連続を私は生きていると感じています。
また、一人暮らしをしはじめて、贅沢はできず、地味な生活をしておりますが、クリエイトすることができています。娘と息子が「お母さんは一人暮らしの方がいい」と言ってくれたことをきっかけに、今、クリエイトできる時間をいただいた感じがあって、とても感謝しています。
ありがとう、娘、息子。
今では、時々LINEして連絡取り合ったりできるようにもなりました。
友達には「渋谷さん、母親ホルモン減らしてね~」って言われてたんですが、今、ようやく母親ホルモンは無くなった感じです。笑
さて、ソウルタウンの件ですが、実質的には私本人の学生時代の町ではなく、私の夫が学生時代に暮らしていた町なのです。
学生時代に漫画家になりたいと思っていた夫なので「トキワ荘」のあるこの町を選んだのだと知っていました。
息子は秋田の国際教養大学という所を出て、今は休業していますが、俳優志望で東京に出てきて、はじめは品川で生活していたのですが、巡り巡って安い家賃を探して、私の抗がん剤治療に入る頃には、椎名町が最寄り駅の小さなアパートで暮らしてて、私がそこに転がりこんできたというわけでした。
なんだか、息子には夫の面影もあるので、それはそうですよね、遺伝子の半分は夫ですし、男という性別なのでね。「夫が生きていたらこんな風かな?」と夫の影を息子に見ているのも、息子にとっては窮屈だったと思います。
さて、そんなことで、私の心の中には四六時中やはり夫が存在しています。最近は本当に心の中にいるからだと思うのですが、そこに本当に居る感じがするのです。
今朝は絵を描いていて、新婚時代に夫が学生時代に片想いだったか、両想いだったかはわかりませんが、素敵な女性の写真(おそらく自分で撮影して写真)を何枚もとても大事にとってあって、
「私は元カレの写真とか全部捨ててきたのに、まだ大事にとっているなんてひどい~~」って怒って泣いた時があったことを思い出し、
私の言うことを素直に聞いて、すぐに写真を捨ててくれた夫を思い出し
優しかったな~と思い出し
悪いことしたな~と思い出し
鼻水流して泣いて、
チーンって鼻水を勢いよくかんで、
はい。すっきり。パパ思い出しの儀式?終了?みたいにすっきりして、
とにかく、強くなってしまってて、、、、
辛かった別れも、
力になっているというか、、、、、。
今回のような描写が今できるのも、
椎名町のマンガ地蔵さんのおかげ様だな~って、つくづく感謝です。
また、今回も前置きが長くってすみません。
では、ここで、お地蔵さんにご登場いただきましょう。
「マンガ地蔵さ~~~~ん」
「は~~~~~い」
「ん?あれ、どらちゃんじゃないの?マンガ地蔵さんは?」
「やっぱり~わかんない?ほら~マンガさん、もっと大きな声出していわなきゃ」
「はいはいはい、こっちこっちこっちなの。右みて、右、みぎ~~~」
「え?ん?あ、、、、あ~~~ちっちゃい・・・・・」
「あ~やっぱ、小さいって感じするの?え、もう、また言われちゃったよ」
「うん、正直、小さくってびっくりした」
「だよね。なんだか予算あまりとれなかったらしい・・・あ、ここだけの話ね。隣に世界級アイドルのドラえもんがいたらさ、僕の影も薄くなっちゃうよね」
「え、マンガ地蔵さん、僕のせいなの?それはないでしょ。でも、shibuさん、マンガさんのお姿、ボデーだけで見るのではなく、全体像でみてあげて~」
「え、ドラちゃん、全体像?」
「そう、ちゃんと見てね。マンガさんも努力して大きくなってよ~、いい?」
「うん。なんとか、えいや~~」
びゅん。
「うわ~~~すごいね」
「え、僕すごい、大丈夫、期待外してない?」
「面白いよ。びっくりした。袈裟にカリカリとか書いてある。面白い~~」
「本当、大丈夫?面白い?」
「意表つく感じがセンスなんだね。すごい」
「えへへ。台座も見てね、全体見て、ほら、台座はペンなんだよ。ペンがあってこそ僕たちは描くという仕事に従事できるからね。感謝の気持ち表現しているの」
「うんうん」
「結構、あれ、漫画家志望の方とか来るの?」
「来るよ。生きてる死んでる関係なく来る」
「へ~」
「そういえば、この間は手塚治虫先生が来てくれた。コロナのこと心配してたよ。医者であり漫画家さんだしね」
「すごい」
「ま、みんな漫画読んで笑ってたら、免疫も上がってへちゃらになるんだけどね~って言ってた」
「ふむふむ」
「あ、それから、そうそう、ご主人も来てたよ。パパ」
「え、パパが~」
「昨日の夜来てた。明日の昼すぎに、ママさんがお地蔵さんみたいな恰好でくるから、よろしくね、って言ってた」
「パパ、来てたんだ」
「うん。僕の顔、ちっちぇ、って言って撫でてくれた」
「そうなんだ。撫でてくれたの?」
「うん。優しく撫でてくれた」
「優しかった?」
「とても目が綺麗だった」
「ううううん。ね。私も撫でていいかな?」
「い~よ~~~。優しくね」
「うん」
「あったかいね。shibuの手」
「そう、あったかい?」
「うん。ほっとする」
「それは良かった」
「生きているとさ、いろいろあると思うけど、血が巡っていることに感謝だね」
「マンガさん、すごい。そうだね。私も血の巡りを良くしなさいって、いろんな人に今教えてもらっているの」
「そうだよ。自分で自分を温めるんだ。心からあったかいこと、考えるのでもいいんだよ。あったかくなってくる。いじわるなこと考えると冷たくなってくる。人が喜んでくれることをするとさ、自分があったかくなってくるよね。そういう感じでさ、生きていってくれよな!」
「マンガさん、ありがとう。ドラちゃんもありがとう」
う~~~~また泣けてきてしまった。
小さいけど、パワーあるマンガ地蔵さん。
地蔵さんの目の前には「創造の縁を結ぶ マンガ地蔵」と書かれてあった。
マンガさん、ありがとう。
天気のいい昨日は歩きました。お気に入りの大山商店街を抜けて歩きました。
あと、取材終えてから夫の若かりし頃に生活していたらしいアパートにも行ってみました。
おまけ ご褒美
町名でいうと、南長崎エリアはマンガの仕掛けがいっぱいあって、幼い頃にマンガに親しんできた私たち世代にとっては、子どもに戻れる場所かと思います。私もわくわくして散歩できました。
絵でなく写真でごめんなさい。
絵にするよりもこちらは写真の方が伝わると思い、写真を上げます。
散歩終えての帰り道、板橋区の語源の「板橋」を渡りました。
夕日が綺麗に差し込んでくれて、今日の取材も良かったね。と言ってくれているように思えました。
この良かったね、の、繰り返しを
日々重ねて行きたいと
思う一日でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も取材に出かけます。
予定では、ちょっと秋田に縁のある所に伺う予定でおります。
今日もベストで。
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