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誰がために笛を吹かむ

町のはずれにぽつんとある公園の入り口で、一人の黒人男性が金楽器を演奏していた。形状や、聞き覚えている音色からサックスを連想したが、私の浅薄な知識ゆえに真偽のほどはわからなかった。
彼の演奏しているそれが、どんなジャンルの楽曲なのか、どんなスタイルなのかも検討がつかなかったが、彼の演奏する聞き心地のいいメロディーがまるで「演奏させてもらう代わりに、皆さんの休日をむやみに害するような野暮な真似は致しません。ご安心ください。」と言っているかのようだった。

私には、彼がなぜこんな場所で演奏しているのかが不思議だった。1週が約800mあるその公園では、観客になりそうな人間といえば数人のランナーぐらいのものだったが、誰もが彼の演奏を聴くためにに足を止めることなく脇を横切った。響く金楽器の音色によって彼の輪郭は強調されていた。彼は一体何のためにあの美しい音色を出すのだろうか。

おもえば、私が文章を書くことも同じことなのかもしれない。
誰のため?何のため?と聞かれてもおおよそ自分や相手にとっても満足いく答えを見いだせる気がしない。
時間をかけて何かを作ってみても、誰かに認められることもなく、それは私の孤独の積み重ねを一般化し、体系化していることに過ぎないのではないかとさえ感じることもある。
私の目の前で、いつもランナーは私を横切っていく。

彼にとっての演奏は、彼自身のためであり、故郷の母のためであり、或いは、彼の良心を支える宗教的なシンボルのためかもしれない。つまりそこには、彼なりの明確な目的や理由があって、私の浅はかな考えを遥かに越えた境地にいるかもしれない。

けれどあの時、確かに彼は孤独だった。一人で、誰にも認められることなく美しい演奏を続けた。
私はそんな彼に、創作をすることの原初を見出した気がした。


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