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喫茶フィガロ冬の文化祭2024年(制作エッセイ2024年12月10日(火))


 私は文化祭が好きだ。
 人が生きる上で文化というものは欠かすことのできないものだからだ。

 無くたって生きていはいける。
 生きてはいけるが、きっと味気ないものになる。

 文化があれば白黒のパレットは七色に輝き出す。
 それらを生きる軸や生きる糧にしながら人は、この世を乗り越えていく。


 喫茶フィガロというお店には『喫茶フィガロ冬の文化祭』通称『ふゆぶん』という企画がある。

 これは、毎年冬にほぼ毎日の形でイベントが開催されるという大きな企画。かくいう私も、ほぼ毎回出場させていただいているのだが、文化祭とネーミングが絶妙だと私は毎年のように思う。

 例えば、大きなイベントを開催となると、面倒ごとも増えていく。やりたいことと対極に存在する厄介ごと。
 けれど、文化祭。そのネーミングが敷居が下がれば、参加をしてみようという意欲を持つ人間も多くなるだろう。文化祭と名のつくだけで、演劇も高尚なものから、市井のものへと変容する。
 私は、その市井の人たちが繰り出す会心の一撃と言わんばかりの表現活動が好きだ。

(ただ、文化祭というには相当細心を持って準備や挟み込み、横との交流などを実施してくれる。通称こそ親しみやすいが、その実芯はしっかりとしていて、参加する人たちへのケアはピカイチだったりする。)

 
 先日、日曜日にはTuttiさんの合唱イベントに参加させていただいた。
 これが本当に楽しくて素敵だった。

 まず、歌が楽しい。
 歌が好きな私からすればこれほど一番の理由はない。
 綺麗な旋律、響き、ハーモニー。
 声が重なり合うだけで、どうしてこうも聞き応えが出るのだろうか。

 そしてチェロ。
 最高。
 ワンポイントのように挟み込まれるチェロが良い味を出している。
 非常に良かった。
(『ミックスナッツ』もチェロで弾くと感動シーンのバックグラウンドミュージックのように聞こえる。)

 あと観客が歌う場面もあった。
 めっちゃ歌った。

 普段なら演劇と合唱が織り混ざったイベントなどはなかなかないが(それこそ市民フェスなどはあるかもしれない)、”文化祭”であればそれらも変ではない。なぜなら文化の祭り。それぞれが持つ会心の一撃みたいな文化がモザイクアートみたいに一つの集合体になり、大きな群をなす。

 市井の人が織りなすのは、そんな劇場公演すらも飲み込んでしまうような楽しさや嬉しさ、美味しさや笑顔を内包した文化の結晶なのかもしれない。


 素敵な時間を過ごさせていただいた。
 Tuttiさん、ありがとうございました。

 ぜひ一度足を運んでみてください、喫茶フィガロ冬の文化祭。
 30日にはトリでバケツズも出場します。
 朗読劇です。
 師走の忙しさには鬼も逃げると言いますが、そんな師走の暮れに鬼が出る物語を読みます。

 よろしくお願いします。

 (あと、せっかくフィガロさんに行ったのなら内装を見てみてください。最高です。もう、セットです。セットの中でコーヒーとかを飲めます。)

 

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