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読書ノート 短め寄せ集め 「忘れられた巨人」他8篇



「なめらかな世界と、その敵」 伴名練

  実力、支持の強い日本SF界のダークホース。なぜダークホースかというと、著作の少なさ、エンタメ性の間口の狭さ(SF的基礎知識、それも最新の知識がないと楽しめない)などからである。

 とりあず、「美亜羽へ贈る拳銃」を読む。精神インプラントで愛を固定するというアイディアで、伊藤計劃『ハーモニー』主人公ミァハへのオマージュであり、文面でも出てくるように、テッド・チャン短編『顔の美醜について』のアイディアにヒントを得て書かれた(であろう)心理的SFである。

 うんうん、面白い、という感じと、これってわかりにくいなあ、もどかしいなあという感じが交差する。作者はたいへん賢い人だなあと思い略歴を見ると京大SF研出身でした。今後読むかなあ、微妙だなあ。



「忘れられた巨人」 カズオ・イシグロ 土屋政雄訳

 「忘れられた巨人」とは、二つのの民族間の憎悪と禍根。すべての人々から恐れられていた雌竜クエリグを退治したことで、共通の恐怖の対象がなくなり、力の均衡が崩れ、忘れられていたもともとの対立軸が復活してくるというもの。老夫婦はそれを見ながら、先だった息子を思いつつ、孤島へと向かうというところで物語は終わる。結末だけ見ると、何の変哲もない竜と騎士のファンタジーに見えるのだが、違うのだろうか。解説では「アーサー王伝説を下敷きにした不意打ち」が批評家を驚かせたとのこと。日本で言えば須佐之男命スサノオノミコト八岐大蛇ヤマタノオロチ伝説を物語化するようなものかしら。


「現代語訳老子」 保立道久

 『老子道徳経』(この本では『老師』と呼ぶ)を、過去の翻訳や解説を加え、八一章をテーマ別に組み替えて読みやすく、理解しやすくしたもの。しかし反対にテーマ設定が「運・鈍・根で生きる」「星空と神話と士の実践哲学」「王と平和と世直しと」と、なんだか余計にわかりにくくなってはいないか。「人生訓」と「宇宙論」と「社会思想」でいいではないか。ネーミングのセンスもそうだが表現が全体に渡ってくどく、せっかくの内容がわかりにくく感じてしまう。『過ぎたるは及ばざるが如し」あ、ちょっと失礼。老子道徳経を広く知るという意味では好著です(フォローになっていない)。


「ものがたりの余白」 ミヒャエル・エンデ 田村都志夫(聞き手・翻訳) 

                   

 最後の死の数日前のインタビューが身に染みる。
「実をいえば、わたしたちは一生を通して死に続けているのです」
「生とはすべて、息を吐き、吸うことの終わりのないくりかえし」
「生と死、それは一つ。対立するものでは決してない」
などの認識や言葉は、エンデがたどり着いた人間へのまなざしである。



「一億三千万人のための『論語』教室」 高橋源一郎 

          

 高橋源一郎がやりたいこと、古典の活性化・自分化をみるのは楽しく、ためになる。これこそが、本を読む、言葉を読むという行為の、人間的営為の最重要境位。

「子曰く、人、遠き慮りなければ、必ず近き憂えあり。
 →今が良ければと目先のことばかり考える。そうなると、必ずしっぺ返しに遭います。断言してもいいですよ。このことは、政治にとってもっとも大切なことといってもかまいません。いま金がないから緊縮する、その結果将来の世代がひどい目に遭う。いま、働く世代がたくさんいるからその金を使ってじゃんじゃん軍備を増強する、でも半世紀後、高齢化社会を迎えたら、働く世代がいなくなって年金制度が崩壊する。いくらでも例をあげることができるでしょう。でも、政治家も有権者も役人も、みんな『眼の前』のことさえよければ、自分だけなんとかなれば、と思って行動してしまうのです。残念ですがね」

こう読み替えたあとに高橋は、(すいません、センセイ)と、孔子に謝ります。私も彼に倣って、すみません、と呟きます。


「京都学派」  菅原潤

 京都学派とは、西田幾多郎が創設し、田辺元が継ぎ、その後四天王と言われる西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高で戦前に活躍した西洋哲学研究者集団である。西田が禅、田辺他が仏教に造詣が深かったことと相俟って、東西思想の融合が京都学派の課題となった。そうした姿勢が太平洋戦争当時の「大東亜共栄圏」のスローガンと結びつき、戦争協力の哲学だと指弾されるようになった。

 東洋と西洋の哲学や宗教の融合・統合は、井筒俊彦の本願としたところでもあり、人類としての夢でもある。世界宗教、世界哲学による理想的な人類の生活の確立を目指すのは、いわば頂上の課題だが、皆それをしようとして失敗していくのだ。歴史は繰り返す。きっとこれからも道を違えて躓いてしまうのだろう。とはいうものの、人生は短い。小さな私の人生の思索でも、やはり理想・夢を追いかけようではないか(と誰かに訴える)。



「飛ぶ孔雀」 山尾悠子

 泉鏡花賞、日本SF大賞受賞であり、期待して読んだが(読み出したが)、あまり共感できない。感情移入が難しい小説であった。火が燃えにくくなる世界で、住人のなんらかの動きがあるのだが、すべては「背景」であり、物語が動いている感じがしない。死んだ日常を、異化することでなんとか保っているというイメージか。

 


「予告された殺人の記録」 G・ガルシア=マルケス 野谷文昭訳

 二十年前からこの本の存在は知っていたが、今回はじめて読んでみた。で、どうだったかというと、おもしろい。作者自身が最高傑作というのもわかる。内容もさることながら、構成が抜群にうまい。時折入る過去時制も文章に深みを与え、さまざまな登場人物のエピソードを紹介しながら、最後に殺害される場面に収斂していくストーリーテリングは、ノーベル賞作家というよりも、エンターテイメント作家のそれに近い。

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