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読書ノート 「未来省」 キム・スタンリー・ロビンスン 瀬尾具実子訳



 一度ここで短めのコメントをしたが、消化不良であったので再び取り上げる。

 私はなんといってもこの小説がディストピアから出発し、世界を変革していくというポジティブな物語であるところに強い興味を掻き立てられている。現在書いている小説『揺動と希望』がそういう物語になるはずで、その下支えとして読む。世界をポジティブにメタモルフォーゼするには、どうすればいいのだろう、ということをいつも考える身として、その言語化・具象化された物語としてこれを読もうとしている。

 出版元の特設ページにおけるあらすじ紹介はこんな感じ。 

【人類vs気候変動 闘いの30年未来記】 2025年、インドを未曾有の大熱波が襲い、2000万人の犠牲者を出す。喫緊の課題である気候変動に取り組むため国連に組織された、通称「未来省」のトップに就任したメアリー・マーフィー。つぎつぎと起こる地球温暖化の深刻な事態に対し、地球工学(ジオエンジニアリング)、自然環境対策、デジタル通貨、経済政策、政治交渉……ありとあらゆる技術、政策を総動員。人類の存亡をかけ果敢に立ち向かっていく。〈火星三部作〉のキム・スタンリー・ロビンスンが描く、現代から2050年代までの気候危機をめぐる近未来SF小説。

 Chapter3で、未来省の成立過程を見る。COP21に単を発し、COP29で「協定を実施するための補助機関」として未来省は設立される。

 その後、インドに熱波が襲い、2000万人が数日のうちに亡くなる大災害が起きる。インドは、狂乱し、みさかいなく、空中に二酸化硫黄を数カ月に渡ってばらまく。それで火山噴火後の火山灰の雲を再現し、太陽光熱を遮断しようというもの(地球成層圏に二酸化硫黄を散布して太陽の光を宇宙に反射する反射層を人工的に作る技術「成層圏エアロゾル注入」)。他国の非難を顧みず、実行する。しかしインドは揺るがない。こんなふうに。

 (パリ協定でインド代表団を務めるチャンドラの憤り)
「…今あなたに知っておいてほしいのは、私たちはおびえていて、同時に怒ってもいる、ということ。この熱波の原因を作ったのはわたしたちじゃなくて、欧米や中国よ。…誰だってみんなわかってる、だけど誰も行動に移さないじゃないの。だから自分たちでなんとかするの」
と言ってインドは二酸化硫黄を空中にばらまく「太陽放射管理行動」に出る。
それを主人公の未来省事務局長メアリーに告げ、メアリーが仕方なく「了解」と言ったあとにこう言う。
「あなたの許可なんて必要ない!」


 (二酸化硫黄をばらまく空軍のパイロットのつぶやき)
「俺たちはできることをした。正しいことをしたのだ。否定するやつが入れば、怒鳴りつけてしまうだろう。地獄に落ちろ、と言ってやる。俺たちインドはもう地獄を見てきたのだ」

 インドは急激に変化する、政権は崩壊し、カースト制が廃止される。破壊神カーリーの呪いを恐れ、気候変動に対して強烈に動き出す。

 未来省法務部門の責任者タチアナ(彼女は最後にはテロに斃れる)は、主人公メアリーに対して「新しい宗教を作りましょう」と持ちかける。大いなるもの・最古の宗教の復活であるとする。最後にそれが実現したかどうかはわからないが、その萌芽までは行くことができたと思われる。これはやはり、柄谷行人の交換様式Dの顕現をイメージさせる。

 この大災厄を止めるために未来省がしたことは、世界統一のインターネット(「Your Lock」)、カーボンコイン(世界基準デジタル通貨)の設立。カーボンコインは炭素を燃焼しないことに対して証明・発行され、ブロックチーン(分散型台帳)の仕組みで交換運用される。炭素を燃焼すれば課税され、回収すればコインがもらえる。中央銀行によって発行量をコントロールし、最低価格が保証されるなか、世界全体が炭素燃焼削減・温暖化対策に積極的に乗り出すことが実現できる、とする。この小説のキモであろう。

 他のアイディアとしては、二〇〇〇ワット社会(家庭で消費される全エネルギーを人間総数で割ると、ひとりが使える電力は約二千ワットである)、南極の氷の底の水を汲み上げ、氷河が底の地面にくっつき、摩擦熱が抑えられて溶けるスピードを抑える(ブロックチーンの使用電力の七倍の電力が必要)、「ハーフ・アース」活動(地球の半分を自然保護区にする)などなど。出版社特設ページの読書ガイドも大変参考になります。


 おもしろいのは、ところどころで、いろいろな擬人化描写が差し込まれているところ。
 Chapter2では太陽、Chapter43ではブロックチェーンが擬人化され、ぐずぐずもの申しています。その他、46(市場)、53(光子)、66(炭素?)、77(歴史)、88(すべての動物?)、95(存在)などなど。
書きぶりはこんな感じ。

「私は存在。
 生きていても死んでいても、意識があってもなくても、感じることができてもできなくても。多様でありながらひとつ。何十億の一兆倍もの民から成る共同体。神でありながら神ではないものを渦巻かせ、私自身も神ではない。母ではないが、多くの母である。
 そなたを生かし、いつかはそなたを殺すかもしれない。あるいは私が殺さずとも他の何かがそうするだろう。そして、どちらにせよ、わたしはそなたを受け入れる。その日は近い。そなたは私がなんであるかを知っている。
 さあ、私を見つけだしてみなさい」

【Chapter95】

 プロティノスの神、スフラワルディ、イブン・アラビーの神、スピノザの神、老師のタオに似た、すべてである存在=神の記述。キリストの神ではないですね。

 インドで熱波に遭遇したフランクは、その後ホテルにいるメアリーを急襲し、世界に対する危機感を全身で感情的に押し付ける。その罪と事故的に人を殺した罪で収監される。出所し、メアリーとの不思議な交友関係を経て、脳腫瘍で死んでしまう。苦しみの中で彼は言う「こんなのはただの運命だ。ただの運命なんだ」。それに対してメアリーは言う。「友よ、運命なんてものは存在しないわ」


 解説の坂村健は、この本の様々な欠陥について触れ、その欠陥を考えることこそが重要と言う。無論、この本を強力に推薦している本人としての言葉だ。著者のロビンソンが世界の各国について詳細な分析を提示しているなか、日本については「意図的に」外しているという。ロビンソンのユートピアには日本的精神「もったいない」が不可欠のはず。もっと言えばロビンソンのユートピアは「前世紀の日本をDXして欠点をなくした社会」であり、逆に言うとある意味日本は世界の特異点であって、日本を出すと本書の流れが上手くいかず、それで外したのではないかと穿っている。他に、原子力・核融合のエネルギー問題や、世界的に普及させるカーボンコインのブロックチェーン消費電力についても言及されていない、スマートフォンやAIの進化が描かれていない、などの大きな「抜け」は見えている。

 しかしそれにも増して、本書の意義は大きい。大災厄が起きなければ動かない世界は今もそうだし、それを動かすときの方法を詳細にシュミレーションしたSFは少なく、きっと生きていれば小松左京も大絶賛したであろう。
 では、日本はどうするのか。これを書ければいいな。

【メモ】
エイドリアン・ラフテリー(気温上昇のモデル)
市場は、すべての国民国家を合わせたよりも巨大である
ストックホルム症候群(人質が誘拐犯に同情)とリマ症候群(誘拐犯が人質に同情)
広範なテロ集団「カーリーの子どもたち」
ピケティ税、ジョージスト税、化石炭素燃焼税

感覚と認知エラーの描写もおもしろい。
アンカーバイアス…先に想定したことや言われたことに引きずられて判断が歪む
イージー・オブ・レプリぜ-ション…自分に理解できる説明のほうが、理解できないものよりもほんとうらしく思える
認知エラーの列挙…
少数の法則、
基準率の無視、
利用可能性ヒューリスティック、
非対称類似、
確率の期待、
選択構造、
コンテキスト分離、
獲得/損失の非対称性、
連言の効果、
典型性の法則、
異所性の因果、
原因/結果の非対称性、
確実性効果、
理不尽な慎重さ、
サンクコストの過酷さ、
幻相関、
根拠のない自信過剰…
「このようなエラーは一貫して起こる」わけで、自信過剰は、「もっとも普遍的な共同幻想のひとつ」という。人間が理性的であったことなど一度もなく、その不安定なところから始めるとなると、健全さが失われたときに何が起こるかは「とてもひどいことになりかねない」

参考メモ
“気候変動などで野生動物の個体数50年間で70%余減” 環境NGO 
2024年10月14日 NHK国際


スイスに本部のある環境NGOは、気候変動の影響などにより2020年までの50年間で野生動物の個体数が70%余り減ったとする報告書を発表しました。この報告書は、スイスに本部がある環境NGOのWWF=世界自然保護基金が今月発表しました。
報告書によりますと、哺乳類や鳥類などの野生動物、合わせて5495種について調査したところ、1970年から2020年までの50年間で個体数が73%減少していました。

生息する場所別では、
▽河川や湖、湿地など淡水に生息する魚などの減少が最も大きく85%
次いで
▽陸に生息する動物は69%
▽海に生息する動物は56%減少しています。

地域別にみますと、
▽中南米とカリブ海が最も大きく95%減少しているほか
▽アフリカは76%
▽アジア・太平洋地域は60%
▽北米は39%
▽ヨーロッパと中央アジアは35%減少しています。

生息地の減少や乱獲、外来種の影響、病気などが主な要因ですが、中南米やカリブ海では気候変動、アジア・太平洋地域では汚染による影響も大きいと分析しています。
今月21日からは、生物多様性の保護について話し合う国連の会議「COP16」が開かれることになっていて、報告書をまとめたWWFは、各国の政府が、2030年までの5年間で持続可能な方向に軌道修正できるような、野心的な計画を打ち出す必要があると訴えています。

坂村健の「未来省を語る」も読むべし。

 パワーバランスとしては利権者とテロと市民について考える。大災厄がなければその関係は非対称のまま変わらない。「外部」が状況を変えるというのは世の常だが、その「外部」をどうするかは腕の見せ所。人生やることが多い。



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sakazuki
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