見出し画像

美術鑑賞に思うこと | そこに、なにが映っていても目に見えない 柳瀬安里

2020年8月、京都芸術センターギャラリー「「ニューミューテーション#3 菊池和晃・黒川岳・柳瀬安里」」という展示で、柳瀬安里さんの「そこに、なにが映っていても目に見えない」を見た感想のスマホメモ。
あらためて見返して、インスタレーションや美術鑑賞について考えたこと。


2020年8月10日スマホにメモをした作品の感想 全文抜粋

そこに、なにが映っていても目に見えない
柳瀬安里
京都芸術センター ニューミューテーション

この作品は 
石畳の石を剥がして迫害を受けたユダヤ人の名前を裏に刻んで戻してできたモニュメントがあり、
そこに行って、自分の歩数で全体の大きさをはかり、1枚1枚写真を撮ってきて、足で測ったものと同じ大きさの布にプリントする
っていう、祈りや葬いの行為の追体験でできてる。
呼応、感応、、というか。
そういう感覚、あったな、と思い出した。

作家ステイトメントは資料ハンドアウトに載せず、作品の脇の机に添えられていた。
石畳が印刷された長い布が置かれている部屋には、一歩一歩歩数を口でたしかめながら歩いている作家の声と息遣いを録った音が流れている。

ものすごくわかりやすいけど、
ものすごくわかりやすいだけに、
ああ、そうだよね、っていう、
ひたすらに、ソコ って感覚に
深く共感した。

あった、っていうか、あるんだけど
あるからひょっこり意識にのぼったんだろうけど
普段、この感覚はどこにいるのか?

柳瀬安里「そこに、なにが映っていても目に見えない」作品参考情報

目に見えない慰霊碑の広場 Platz des Unsichtbaren Mahnmals

1990年よりヨヘン・ゲルツ指導のもとザールラント造形芸術大学の学生によって、あるプロジェクトが始められた。まず最初にドイツ全土にある、1933年より以前に存在しているユダヤ人墓地にある名前を集めた。その数、2146人分。学生は1990年7月より、かつてザールラントのゲシュタポ本部があったザールブリュッケン城へ続く道の敷石を密かに持ち帰り、その石に集めたユダヤ人の名前を彫っていった。そしてその名前の彫られた面を下にして再び元の場所に戻した(石を戻すまでは代わりの石が置かれていた)。1991年8月より、州政府と市にも許可され、同時に援助を受け、作業が続けられた。それらの石は他の石と同じように置かれており何かの目印もない。

1993年5月23日、ザールラント州首相やドイツ・ユダヤ人評議会代表などが出席して、"2146個の石 - 人種差別主義に対する慰霊碑"と公式に名付けられた。そしてザールブリュッケン城の前の広場は"目に見えない慰霊碑の広場"と名付けられた。

ザールの街角、独仏国境の街ドイツ・ザールブリュッケン

「ナニコレわかんねw」って言われがちな現代美術

このメモを久しぶりに見返して、先日行った香川県豊島の「心臓音のアーカイブ」や豊島美術館の中でも感じた、アーティストの身体感覚を自分の身体で感じる、寄せて「見る」がインスタレーションだなとあらためて考えた。

アーティストの経験をその作品を通して追体験することは「芸術鑑賞」のひとつの要素であって、現代美術作品を見ることの重要な視点だという事があまり理解されてない面があるのかなと思っている。…現代美術だけに限った視点じゃないけど。

特にインスタレーションは、美術鑑賞に慣れてない人は「わかんない!ナニコレ~」と口にして、「ナニ?」をスルーしがちなのではと、美術展などで耳にする周囲の会話で思う。

展示に来てるくらいだから、何かしら興味を持っているのは間違いなんだけど、その作品のどこに自分の目をあわせたらいいんだろか?という戸惑いがあるような言葉を耳にすることがある。

特に「芸術作品です。」と丁重に扱われているものの、アカデミックな権威や存在価値の威厳の前では、自分が見ている何かを作品の作者である偉大な芸術家に重ねることがおこがましいと思う遠慮ってのもある。

美術教育に思うこと Ver.昭和生まれ

昭和生まれ以降が小中学校で教えられてきてる教科書的な美術教育というのは、道具や材料を使って線や色を描く、形をつくる、道具の使い方や自分の周囲の事柄の観察と表現、世の中に存在するモノの制作の本当にシンプルな基礎を学ぶ「訓練」という側面が強い。

義務教育で教えるべきことは、社会に出て働けるような基礎知識と社会生活を営むための制約がある日常生活の規律である。これは現在につながる義務教育が制定された頃、その後の高度経済成長期と経済を支えてきた大企業や古くからある工場など、職場での一日の流れにも見る。

令和が7年目になる今でも、工場で作業をする人やそこを管理する企業や関連会社などであれば、朝8:30にチャイムが鳴り、すでにみんな出勤しており、朝礼や申し送りをして始業。昼にはチャイムが鳴って各自休憩といった、昔ながらの風景が残っているのではないだろうか。

私たちが義務教育で学んできたことは、日本という自分たちの国、社会を未来に向けて支える人をどう育成するかが、その礎になっている。

そのため、個性とか個人、個体固有の感覚というものは、一部の芸術や人文教育をモットーとする私立学校以外、一般的な学力に重点を置く学校や公立学校ではあまり優先されていなかった。

詳しくは忘れてしまったが、美術分野もカテゴリに高尚さの優劣があって、オークション等で値段がつく分野の差は美術としての存在価値によって変わるというような事を聞いたことがある。

「書」と「絵画」→「彫刻」→「工芸品」というように、花瓶や食器など実際に使用されるもの調度品のようなものの価格帯は下。名のある名工の作品で古くて状態がよく、繊細な細工が施されていても、著名な芸術家の絵画などの評価や評価額の方が高くなるらしい。

戦後の日本社会がGHQによって制定された指針にをベースに成り立ってきたので、欧米の美術界の価値がそのまま美術館や当時の文部省から美術教育に携わる人にカスケードされてきていて、1950年前後くらいの骨子のまま80年代くらいまでは運用されていただろうなと思う。

ここ20年くらい美術館の企画の雰囲気が変わってきたので、最近の教育は少し違うかもなぁと思っているが。

「ものすごくわかりやすいけど」って何で考えたっけ?

スマホメモを見て、私が「ものすごくわかりやすいけど、ものすごくわかりやすいだけに、」と書いていることに、何がわかりやすいんだったっけ?と思い返した。

この作品はドイツのザールブリュッケンという都市にある「2146個の石―ザールブリュッケン反人種差別警告碑」に柳瀬安里さんが行った経験でできている。

床に敷かれた石畳のパネルの前に立つと、柳瀬さんが一歩一歩の自分の歩数を数えながら石畳を歩いている声が聞こえる。

私は彼女の声と一緒にパネルの前でその石畳を数える。

柳瀬さんは、ドイツ全土に眠っている2146人分のユダヤ人の方々の名前が掘られた石を数えている。

彼女はザールブリュッケンでドイツ全土に眠ったユダヤ人の方々への慰霊の想いでモニュメントを作ってきた芸術大学の学生たちと一緒に、その2146人分の石をひとつひとつ確かめている。

当時ゲシュタポの本部があったザールブリュッケン城の前の石畳に、2146人ひとりひとりの名前を刻んだ学生たちと亡くなったユダヤ人の方々は、いま一緒に、彼らを迫害した「思想」のシンボルである本拠地の石畳の前に立ち、時間を超えてゲシュタポの前に立ち、彼らと対峙している。

そこにいた誰かの存在、その存在をつなぐ、その人の体験を体で感じ、その先にその人が見たものをスッと知る事ができたという点で「ものすごくわかりやすい」感覚だった。

芸術作品にはやはり「何だろう」と推測したり、考えるものが多く、人としての人生を「経験」の積み重ねによって、年齢によって理解できるものも変わってくる。

年齢を重ねていても、やはり感覚の認識や経験が足りなくてわからなかったり、作者のテーマとは違うポイントで把握して、その印象を抱えてることもよくある。

人なんてそれぞれ違うから実際にはズレてても、頓珍漢だったりしても「それはソレ」で全然良いかと思う。知識が増えたり、経験が増えたり、本物、そのままのを見たときなどに、認識の違いや新しい考えに気づければよくて、「間違う」ことを気にして、見る、体験する事に躊躇するのは損かと。

つい先日、香川県豊島のボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」で他人の身体を感じると、誰かその人、他者の感覚をものすごく身近に感じるなと強く感じた。

自分の身近にいる、触れ合ったり身体を重ねるような相手の感情や知覚にシンクロしやすいように、人の息遣いや鼓動を感じながらその場、シーンを共有するとシンプルに、本当に深く「ああ」と腹に落ちてくる。

この京都でも、石畳のパネルを見ながら、柳瀬さんの息遣いと石を数える言葉を聞きながら、石を一緒に数えている感覚と、石畳に名前を刻んだ学生たち、その先にいる2146人に一直線に思いを馳せたことを思い出した。

↓京都芸術センター(元 明倫小学校)のマスク二宮尊徳。来訪時の写真。

いいなと思ったら応援しよう!