自分を見失う瞬間(自らを救いたい方たちへ向けて)
私は50歳になる歳に長年の仕事を辞めました。
無意識レベルで無理しすぎていたようで、心身ともに完全に壊れかけていました。正確には部分的には既に壊れていました。本当に危なかったです。
そこから本来の自分を取り戻すのに今までかかったと言っても過言ではありません。
リアルで私のことを知る方たちは、おそらくこの記事のことを私のことなのだとお分かりになったとしても、にわかには信じられないことでしょう。それぐらい前向きでエネルギーのかたまりみたいに思われていた私です。
ですが自分にはやはり嘘はつけません。
私は完全に本来の自分を見失っていました。
元々自分軸ありきの人間だったのに、言う通りに従うことを強制する戦前生まれの両親の圧力に屈し、次第に他人軸の人間に変わっていったのです。
今一度思い起こせば、両親にそれほど悪気があったわけではなかったと思います。結局は私のためになるのだと思い込んでいただけですから。
私からすると間違ってはいましたが、子供の頃から受けてきた教育の影響からは両親の頭や感覚とて自由にはなれず、時代の流れから完全に遅れだしズレだしていたのです。
基本から申し上げるなら
他人軸が必ずしも悪いわけではありません。
人と人とは合わせなければならない時があります。時と場合によっては間違いなく必要なのです。それにより、楽しい日々を過ごせることも多々あるのです。
ですが
元々自分がどうありたいのかがわかっていて人生をスタートさせている私のような場合、親子とはいえ、他者の判断に自分の人生を決めさせてはやはりいけなかったのです。
結果は当然予想されたものでした。私自身がある意味引き寄せていたものでした。心身ともにボロボロでした。完全に事前にわかっていたことなのに...。
まとめます
自分軸だけが全てだと言っているわけではありません。
ただ
他人の評価が自分の評価だとされ、それを信じ込む他人軸的思考感覚が多くの人の場合、その人に合わないと申し上げてるだけです。
いい悪いというより、合う合わないの問題です。私の場合は明らかに合っていませんでした。両親が好んでいただけだったのです。
人生で本当にやりたいことを決めるのは、あなたしか基本いないのです。
本当はやりたくないのにやっていたことに気づいたら、さっさと手放すべきなのです。
自分軸があってこその他人軸なのです。
人がどう思うかより、自分がどう思うか、どうありたいのかという、まさにあり方の問題なのです。
自己中心であれだとか他人には無関心であれだとか申し上げてるわけではありません。
自分の本来の思いや、自分が本来の自分でいることの大切さをお伝えしたいだけなのです。
そこから相手を尊重する本当の人間関係が生まれてくるとお伝えしたいだけなのです。
他人軸中心の生き方が私に決定的に合わなかったこと。
それはあまりにも疲れていくこと、やる気を失っていくこと、そして無理しすぎて心身を壊してしまうことでした。
ご参考になれば幸いです。
ではでは🌱
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