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「中京大中京を倒した男が、迷い続けて見つけたもの」今津貴晴

2017年10月24日。
バスから降り立った勝利の立役者は、歓喜の出迎えに目を奪われた。

校舎の窓から顔を覗かせた生徒が、駐車場のヒーローたちへ叫ぶ。
「おめでとう!」「すごいぞ!」
カラフルな色彩を放った声が、田んぼに囲まれた公立高校に弾けた。

こんなことあるんだな…。
キャプテンの今津貴晴いまづたかはるは、その時初めて、数時間前の勝利を実感した。


☆   ☆   ☆


岐阜県立大垣西高校。ほとんどの生徒が進学を志望する普通科高校だ。
2017年秋、そんな公立高校の野球部が快進撃を続けた。

小刻みな継投と攻撃力のある打線を武器に地区大会を制すと、県大会でも勝利を重ねる。
準決勝の岐阜各務野ぎふかがみの戦でコールド勝ちを収め、東海大会への出場を決めた。

「甲子園はものすごく遠いものだと思っていました。ただ、努力を重ねれば、甲子園に行けるんじゃないかと感じ始めていました」

迎えた東海大会。初戦の相手は名門・中京大中京だった。
序盤から、一回り体格の大きい相手打線の猛攻にう。いきなり5点を奪われた。

名門校の容赦ない攻撃。チームに暗いムードが漂った。
このまま負けるのは情けない。今津は「我慢と覚悟」というチームの合言葉を口にし、ナインを鼓舞し続けた。

「今は我慢する時。もっとベンチを明るくして、攻撃につなげよう」

ベンチの後方から、何度も何度も声をかけた。

5点差を追う5回表。
先頭打者として、今津は打席に立った。

出塁を試み、バットを振り抜いた。
ライナー性の打球は野手の頭を越え、スタンドへと突き刺さった。

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その一振りが、陰りを見せていたチームを勇気づけた。

俺たちだってやれば出来る。勢いづいた打線が、名門校を飲み込んでゆく。
6回表には、今津に2本目の本塁打が飛び出し、ついに5点差を逆転。投手陣も相手の反撃をなんとか封じた。

試合が終わった。8-7。田舎の公立高校が名門校に勝利を収める劇的な試合だった。

しかし、その日を境に、今津は道を迷い始めることとなる。


☆   ☆   ☆


次の相手は甲子園常連の三重高校。中京大中京との一戦から、中1日でのゲームだった。
劇的な勝利の翌日、チームにわずかな緩みが生じていた。

「どこかふわふわしていました。ただ、たった1日で何が出来るのかというと、すごく難しいことでもあるので、このままでいいかなって思いました」

キャプテンは、チームの勢いに任せることを選択した。

迎えた三重高校戦。0-5の惨敗だった。手も足も出なかった。

「甲子園を意識して、先を見据えていたのかもしれません。もう1度、チームを立て直すべきでした」

今津は試合前日の選択を悔やんでいた。


☆   ☆   ☆


三重高校に敗れたことで、甲子園は遠のいたように思えた。しかし、沈みかけたチームに嬉しい知らせが届く。21世紀枠の東海地区代表校に選ばれたのだ。

もちろん、初めから21世紀枠を狙っていたわけではない。あくまで候補校に選ばれたに過ぎない。

しかし…。

新聞社やローカル放送局は取材のために、何度も足を運んでくれた。
野球部のカバンをかけていると、地域の方は「頑張れよ」と声をかけてくれた。

「だんだんと選ばれるんじゃないかなって思っていました。ここまで応援してもらったので、甲子園に出なきゃ申し訳なくて。期待を裏切っちゃいけないという思いでした」

期待に応えたい。応えなければならない。横殴りの伊吹おろしに耐え、必死に練習に励んだ。
21世紀枠の候補校に選ばれた今津は、周囲の期待と闘っていた。

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☆   ☆   ☆


2018年1月26日。
センバツ出場校の発表日。その日は朝から雪が舞っていた。

出場校へは選考委員会から電話で通達される。
野球部は別室で待機し、監督と部長からの吉報を待った。

発表時間の15時を過ぎ、今津は時計の針を見つめていた。
全国に電話をしているのだから、15時ちょうどに連絡がくるわけではないだろう…。それにしても、時間がかかりすぎではないか…。
張り詰めた空気を構うことなく、時計の針は進んでゆく。やけに長く感じた。

15時20分を過ぎた頃、監督と部長が部屋に入ってきた。いつもと変わらない表情のまま話し始めた。

「選ばれませんでした」

選ばれない。
期待を裏切る事実をすぐに受け止められるほど、強くはなかった。

「チームでも『夏に向けて頑張ろうや』とは伝えました。でも、すごく心がこもっていないというか。みんなも言葉ではそう言っているけど、身体と心はついてきていなくて。嘘ではないですけど、言っていることと表情が真逆というか…」

その日は降雪のため、グラウンド以外の空いているスペースで練習をした。
アスファルトに降り積もった雪は、多分冷たかった。


☆   ☆   ☆


2018年4月。
チームは春の県大会を前に、勢いを取り戻せずにいた。

手応えを感じられないまま臨んだ初戦の岐阜高校戦。
守備のほころびから失点を重ね、延長戦の末に1点差で敗れた。

初戦敗退。なんでこんなところで負けたんだろう。情けなかった。
この負けをそのまま流すわけにはいかない。でも、みんなは夏へ向けて切り替えようとしていた。

今津は迷った。
もう1度チームで話し合おうと伝えるべきか。夏へ切り替えようとする雰囲気を尊重するべきか。

選んだのは、チームの雰囲気を尊重することだった。
負けた不甲斐なさを押し殺し、「あとは夏しかないから、そこに向けて頑張ろう」と声をかけた。

今津は気を遣った。
気を遣ったというより、伝えたいことを伝えられなかったという方が正しいかもしれない。


☆   ☆   ☆


夏に向けて残された時間はわずかだった。
冬と春の悔しさを胸に、一生懸命に練習に打ち込んだ。

夏の大会を控えた7月上旬。京都の強豪校と最後の練習試合に挑んだ。
140キロ超の相手投手から複数得点を奪い、投手陣も要所を抑えた。接戦の末、試合は引き分けに終わった。

夏大直前としては「良い試合」だった。しかし、勝てなかった。そのことが引っかかっていた。

試合後のミーティング。今津はこの時も迷っていた。
勝てなかったことを強調するべきか。チームに水を差す言葉は避けるべきか。

迷った末に、今津はまた気を遣った。気を遣ってしまった。

「今日は内容としても良い試合だった。残塁が多かったので、あと1点を獲れるよう、残りの期間で練習しよう」

勝ちたかった、とは言わなかった。
この日も、伝えたいことを伝えられなかった。


☆   ☆   ☆


2018年7月16日。
県岐阜商との夏の初戦が始まった。

序盤に今津の先制打などで、大垣西は3点を挙げた。しかし、すぐに県岐阜商に逆転を許す。勢いを止められない。点差が少しずつ開いてゆく。

反撃したい打線も、淡白な攻撃が続いた。秋の大会では厳しい声が飛び交っていたベンチからも、そんな声は聞こえなくなっていた。

5回裏が終了し、3-9。
グラウンド整備の間、ベンチで今津を中心にミーティングをした。

その時、2つの後悔が頭をよぎった。伝えたいことを伝えられなかった、あの時のことだ。

それでも、今津は迷っていた。
厳しい声をかけるべきか。前向きな言葉にとどめるべきか。

結局、厳しい声をかけられなかった。締まらない雰囲気のまま、ミーティングの輪がほどけていった。

この日もやっぱり、伝えたいことを伝えられなかった。

そのまま試合が終わった。4-11。7回コールド負け。
甲子園で勝つことを目指したチームにとって、あまりにも早い夏の終わりだった。

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なぜだろう。
今津は負けた実感が湧かなかった。


☆   ☆   ☆


それから数日が経ち、中学の同級生の試合を観に行った。
グラウンドでは、成長した同級生たちが泥だらけで戦っていた。それなのに、自分は私服姿でスタンドに立っていた。

僕はここで何をしているんだろう。

今までのことが頭に浮かんだ。
甲子園に届かなかったこと。期待に応えられなかったこと。伝えたいことを伝えられなかったこと。

何も出来なかった。何も出来ない夏だった。
今津は自分を責めた。一人で自分を責めていた。

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せみの音が鳴り止んでしばらく経った頃、今津は受験勉強に励んでいた。
県内の大学からの推薦は断っていた。

「大学では野球ばかりではなく、自分のやりたいことを学びたいと思いました」

進路指導部の大学パンフレットを手に取ると、スポーツマネジメントに惹かれた。特に立命館大学のスポーツ健康科学部に憧れを抱いた。

スポーツマネジメントを学ぼう。自分の願いに背きたくなかった。
しかし、現実はそう上手くはいかなかった。


☆   ☆   ☆


2019年3月。
合格したのは、1校だけだった。そこでは、スポーツマネジメントを学ぶことはできない。

「受かった大学に行ってもいいかなって思いましたけど、やっぱり立命館のスポーツ健康科学部を諦められませんでした。大学へ入学金を払う期限まで、迷いました。もう、ずっと迷って…」

周囲で浪人する子はほとんどいない。たとえ志望校ではなかったとしても、受かった大学へ進む。

「周囲のみんなが受かった大学へすんなり進んだので、迷わない子たちは羨ましいなって、ずっと思っていました」

迷わない子たちは羨ましいな。
彼の虚飾きょしょくない言葉が、僕の体内を駆け巡る。

そうか。
彼は迷い人なんかじゃない。迷うことができる人なんだ。
自分を責める後悔も、諦めきれない葛藤も、迷うことができるからこそだ。

「やりたいことがあるなら、もう1回勝負しようと思いました」

髪が伸びた今津は、迷いながらも浪人を選んだ。


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こんなにも野球から離れたのは初めてだった。
同じ時間に起き、同じ風景を電車から眺め、一日中勉強し、日が沈んだ頃に帰宅する。

そんな日々にも新たな発見があった。

予備校の授業を受け、今まで分からなかったことが理解できるようになった。勉強法に正解はなく、色々なバリエーションがあることを知った。

「勉強は良いことだなって思い始めました。なので、浪人を辞めたいとは思わなかったです」

そして、迎えた立命館大学の合格発表日。
緊張しながら、自宅の部屋で携帯電話の更新ボタンを押した。画面が切り替わる。そこには、合格の二文字が映し出されていた。

この時も実感は湧かなかったが、飛び跳ねて喜ぶ両親を見て、ようやく合格したことを実感した。

「高3の夏はやりたいことが出来なかったんですけど、浪人して合格した時は、自分のやりたいことを全て出せたかなって思えました」


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この春、今津は立命館大学へ進学し、念願のスポーツマネジメントを学んでいる。入部した準硬式野球部では試合にも出場した。

スポーツ健康科学部のキャンパスから、京都の練習グラウンドへは距離がある。今津はキャンパスの近くでも練習ができないかと考えている。

「近くの高校のグラウンドを使わせてもらう代わりに、僕らが練習のお手伝いをすることで、大学と高校の間で良い関係が築けると思います。練習拠点を増やすだけでなく、地域との交流もしてみたいです」

願いは自分の中で完結するものではなかった。
彼が愛され続ける理由。それは、こうやって周囲への気配りを絶やさないからだろう。

願いを語る眼差しは、優しく、穏やかだった。
あの時、迷えたからこそ、新たな願いは紡がれてゆく。


◇   ◇   ◇


今の社会は「迷わないこと」が美徳となりつつある。
迷わない生き方は、カッコイイし、憧れることもあるだろう。

しかし、迷わないということは、迷うことの諦めなのかもしれない。
もがくことを避け、自分を守る生き方。
世間体を気にして、安定したレールにしがみつく生き方。

「迷う人」と「迷わない人」の二項対立ではない。
きっと、「迷うことができる人」と「迷うことを諦める人」の2つに分かれるのだと思う。

「迷わない子たちは羨ましいなって、ずっと思っていました」

今津のこの言葉には、実は続きがある。

「でも、迷えることは幸せだと、今は思います」

届かなかった甲子園。応えられなかった期待。伝えたいことを伝えられなかった後悔。迷わない人を羨んだ春。諦めきれずに選んだ浪人。迷えたからこそ今ある人生。

その一つひとつが僕たちに教えてくれる。
迷えることは幸せだ、ということを。

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