alone again (naturally)
夏の始まりに、悲しいことがあった。
付き合いの長い特別な友達に、誰にも言ったことのない大事な気持ちを伝えたら、至極真っ当だという顔をして否定された。ほんの二言、三言なのに人生丸ごと否定できるような言葉だった。一番近いと、一番好きだと思っていた人に、そんな風に思われていたことが悲しくてたまらなかった。分かってくれると思っていた自分がみじめだった。心の深いところが声も出せずに泣いていた。
ごめんねと言われたから、いいよと言った。私もごめんね、と言った。言うしかなかった。友人はばつの悪そうな顔をしていたが、それはもしかしたら、パーテーションに反射した私の顔だったのかもしれない。私はひとりになったと思った。
私の脳みそは、どうにか悲しみを脱却しようと解決策を探してくれたようだ。検索結果上位に出てきたその曲の歌詞を辿っているうちに、好きな人だったんだなと思った。大事にしていた秘密の宝箱も、こっそり見せたら盗まれた。死にたいとは思わないけれど、やっぱりまた、ひとりになったと思った。
私は寂しがりやのくせに、ひとりになりたがってしまう。ひとりになりたくないのに、ひとりになる道ばかり選んでしまう。自分に自信がないから愛するのも愛されるのも下手くそで、悲しいことがあったのに涙も上手に流せない。数年前に観た映画で、同じようなことを言っている女の子がいたな。
私をひとりにしないでほしい。たくさん愛して、愛させてほしい。手当たり次第誰かに気持ちを伝えたいけれど、伝える相手はもういない。きっといるのに、いないと思ってしまう。また、ひとりになる道を選んでしまう。
おいしい桃を食べたら元気が出た。好きな曲を聴いたら心が潤った。でも、夜になったらまた悲しくなった。当たり前のように、またひとりになった。
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