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【小説】sakekotoba(4)




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 午前の仕事が終わって、スマホを見てみたら、村崎さんのインスタが更新されていた。朝食にサーモンのエッグベネディクトを作ったらしい。つやのある卵が、きめ細かなライティングも合わさって、見ているだけで食欲をそそる。

 村崎さんのインスタはフォロワーも多くて、ちょっとした有名人だ。今朝の投稿も、既に二〇〇件以上拡散されている。

 いつも冷凍食品で済ませてしまう私とは、大違いだ。まあただ単にズボラなだけなんだけど、自社の売り上げに貢献できていると言い訳が立つところは、この会社に入って村崎さんの存在の次に、私が得た二番目の利点だ。

 無添加を謳ってはいるけど、私も村崎さんみたいに、毎朝ちゃんと自炊をしたいなと思う。

 あーあ、なんで私はロングスリーパーなんだろう。人間なんて、一日六時間も寝られれば十分だっていうのに。

 ウチの社員食堂は、数十種類あるメニューの豊富さと、全てが手作りであることで、社内を超えて名高かった。冷凍食品の製造会社として、それはどうなんだと思わないでもないけれど、おかげで私は毎日栄養バランスの取れた、上質な昼食を堪能できている。

 社員の胃袋を掴んでES? だったっけ? を上げようとする会社の目論見はうまくいっていて、それが私にはしゃくだったけど、毎日席に着くたびにまあいいかと思ってしまうのだ。

 この日の私は、お気に入りの生姜焼き定食を頼んでいた。

 ウチの社食はどんなメニューにも、必ず小さなサラダがついてくる。顧客だけでなく、社員の健康にも気を遣っているのだ。

 まあそのおかげで歌苗は、一日分の野菜が取れるタンメンに、ミニサラダをつけるというヤギかなんかか? という取り合わせになっていたけど、野菜って自分で摂ろうとすると高いからねと笑われると、本人の好きにすればいいと思った。

 確かに、最近野菜高いよね。二月だから仕方ないんだけど。

 私たちは料理を持って、窓際の席に向かった。そこに村崎さんが座っていたからだ。

 社員食堂は最上階の一〇階にあって、ここらあたりの景色を一望することができる。だけれど、もう三年も通ってるとどれだけ見晴らしがよくても慣れっこになってしまう。

 それでも、村崎さんはそんなことは全く気にしていないように、窓の外を眺めながら食事に勤しんでいた。その後ろ姿はスーツ姿なのに品があり、まるで貴族のようだ。吸い寄せられるように、私たちは村崎さんに近づいていく。

 声をかけようとすると、昨日のマスターの言葉が思い出されたが、そのくらいで私は止まらない。

 推しと一緒に食事ができる。この特権を生かさないでどうすんだ。

 歌苗に譲られるまでもなく、私は村崎さんの隣に座った。推しの隣、プラチナチケットは手放せない。

 快く隣に座ることを許してくれた村崎さん。その笑顔は特大の天使みたいで、スタッカートで切ったように、私の心臓は小気味よく跳ねる。

 村崎さんはオムライスを食べていた。いけ好かない半熟卵のやつじゃなくて、しっかりと焼かれた玉子で閉じられた、昔ながらの洋食店で出されるやつだった。チキンライスの匂いが、私の鼻にまで飛び込んでくる。

 これで国旗が立てられてたら、完全なお子様ランチだが、私の頭は子供っぽさをおちゃめに、安っぽさを庶民的に変換した。推しがすることは、なんでも尊い。

「ねぇ、見た? 昨日の代表の試合」

「代表ってなんのですか?」

「サッカー。ほら、昨日ワールドカップ出場決めたでしょ」

 私たちが席に着くや、いなや話しかけてきた村崎さん。目を輝かせている村崎さん。

 そういえば、この前もオリンピックの話をしてたな。そっか、村崎さんはスポーツも好きなんだ。

 私の脳に一つ、村崎さんについての情報が追加される。もっと村崎さんのことを知れた気がする。

 でも、やばい。そんなこと今初めて知った。

「えっ、昨日サッカーの試合あったんですか?」

「そうだよー、胡桃。ダゾーンでやってたじゃん。知らなかったの?」

 えっ、もしかして歌苗も知ってる感じ? まさかの私が少数派? そんなみんながみんなサッカーに興味あるわけじゃないんだから。

 なんか渋谷のスクランブル交差点で、バカ騒ぎする人たちみたい。そういう大事な試合しか見ないくせに。

「まあ、昨日の試合はテレビじゃやらなかったもんね。堀口さんが知らないのも無理ないよ」

 私がきょとんとしていると、村崎さんが助け舟を出してくれた。そうですよね! テレビでやってくれないと、私みたいな関心の薄い人間は見ないですよね!

 よかった。私が悪いんじゃなくて。村崎さんがみんながサッカー好きなわけじゃないって、理解してる人間で本当によかった。

「でも、凄かったですよね! 終盤に立て続けにゴールが決まって! 二点目とか私鳥肌立っちゃったですもん!」

 おいコラ、歌苗。私を無視して話を広げんな。見てないって言ってんだろ。

「そうだね。アディショナルタイムだったもんね。カットインからのシュートは、三笘選手が何度もフロンターレで見せてた形だったし、ジョーカーとして満点の働きだったよね」
 
 あの、村崎さん。だから私見てないんですけど。そんな専門用語バンバン使わないでください。頭が混乱してしまいます。

 でも、楽しそうに語る村崎さんは、やっぱり宝石みたいに綺麗だな。ただ見ているだけで、すり減った心が回復する。

「ですよね! 次のベトナム戦は消化試合になっちゃっいましたけど、最後も勝ってほしいです!」

「まあ勝てるでしょ。多分今までのベンチ組が主体になるんだろうけど、相手はベトナムだし、それにホームでもあるしね。今度はちゃんとテレビでも流れるし」

 村崎さんは最後の言葉を、私に向けて言ったから、私は無事貫かれる。名誉の傷は痛まず、私は頭のメモ帳にサッカーの試合があることを書き連ねた。

 村崎さんと同じ話題で盛り上がるためだ。万難を排して見なければ。

 なんなら午後に有給でも取ってやろう。たぶん無理だけど。

 私たちはそれからも時折雑談を交えながら、昼食を楽しんだ。

 歌苗が観た映画のこと。歌苗が聴いた音楽のこと。歌苗が読んだ小説のこと。

 って歌苗しか喋ってないじゃん。でも、歌苗は案外言語化がうまく、見聞きしたものの面白いと思ったポイントや魅力を、変に盛ることなく適切な言葉で伝えてくれる。話にもオチがあり、なんだか落語家の枕を聞いているようだ。

 全く知らないのに体験した気持ちにさえなって、とりあえず私は帰ったら歌苗が勧めてくれた、ユニゾン……なんとかの曲を聴いてみようと思った。

 村崎さんもそのバンドを知っていて、今度またタイバニのオープニングやるよねと、盛り上がってる二人が羨ましかったし。

 歌苗は休む間もなく喋り続けていたのに、いつの間にか野菜タンメンを食べ終わっていて、私が魔女かなんかか? と思っている間に、彼氏と電話したいからと足早に席を立っていった。

 なので私は村崎さんと二人、窓際の席に取り残される。

 村崎さんは歌苗のあまりのエネルギッシュさに、少し苦笑めいた笑みを漏らしていた。ぎこちない笑顔でも可愛いのは、美人の特権だよなぁ。

 私が小手先の化粧でいくら着飾っても、とてもじゃないけど敵わない。まあ勝ち負けとかでもないんだけど。

 推しと二人きりになって、私はうまく話を切り出せなく……はならなかった。

 これは神様が与えてくれた千載一遇のチャンスだ。生かさないでどうする。

 私は生姜焼きに手を伸ばすよりも先に、村崎さんに話しかけた。話のネタは、実は一つだけあった。

「あの、私昨日村崎さんが好きって言ってた、『破壊神マグちゃん』読んだんですけど」

 そう言った途端、村崎さんは獲物を狙う鷹みたいな目を見せて、一気に私の方に体を寄せてきた。せっかく現れたファン候補を逃がしたくないという思いが、ありありと伝わる。

 そんなに近寄られたら、私のバクバクとうるさい心臓の音まで聞こえてしまいそうで、私は焦った。

 もちろん嬉しいよ。そりゃ超嬉しいよ。でも、いきなり推しが目前に来るところを想像してみて? どうしたって平然とはしてられないでしょ?

「どうだった!? 面白かった!?」

 言葉自体は疑問形だったものの、村崎さんの圧があまりにも強かったから、それはほとんど断定調と化していた。

 こんな真に迫る表情を見せられたら、面白くありませんでしたなんて言えない。まあもともと言うつもりもなかったんだけど。

「はい、面白かったです。マグちゃんの尊大な言葉遣いがツボで。流々ちゃんに抱えられて、破滅を放つところはかっこよかったですし。お酒も入ってたのでその日は寝ちゃったんですけど、また二話目も読みたいなって思いました」

 村崎さんが喜びそうな言葉を選んだのではない。れっきとした私の本心だ。だって、マグちゃん可愛かったし。

 返事を聞いて、村崎さんは目を子供みたいに爛々と輝かせた。「でしょ!!」とさらに語気を強めている。周りの人にも聞こえてしまいそうな声量だったけど、全く気にしていない。

 そんな、周囲が見えなくなるほど、マグちゃん好きなのか。

「あの一話目はかなり完成度高いからね! 私ももう五〇回は読んでるし! それにね、一話目から色々伏線も仕込まれていて、読み進めていくと感慨深くなるよ! 特にクリスマス回ね! 二四話と二五話。ちゃんと無料公開の範囲内だから、ぜひ読んでほしいな!」

 村崎さんの勧め方は、提案するというよりも、鼻息が荒いと言った方が近かった。私だって好きなものはあるけれど、こんなに熱くは語れない。そこまで熱中できるものがあっていいな。

 私が「はい、帰ったら読んでみます」と言うと、村崎さんはきわめて平和的な笑みを見せた。心を許している人間にしかしない表情だったから、私の表情も緩む。

 さっきから生姜焼き定食は全く進んでないけど、別にいいや。

 だって村崎さんと話せてるんだもの。それだけで私は満たされちゃう。

 なのに、なんだろう。このモヤモヤした気持ちは。村崎さんと話すのは楽しいし、嬉しい。

 それは間違いないはずだ。なのにどうして私はちょっぴり歯がゆい思いをしている。これ以上何を望むというのか。

「ああ、もし紙の本で読みたかったら私に言ってね。今出てる分全巻持ってるから、いつでも貸したげる」

 購買を強要しないところに、村崎さんの優しさが垣間見える。押しつけがましくないし、村崎さんとの接点が増えるのはいいことだ。

 でも、きっと村崎さんは例えば歌苗とか、他の人にも同じように言うんだろうな。誰にでも優しくできるんだろうな。

 博愛主義は理想的なはずなのに、心の奥で小さな私が叫んでいる。私だけを見て! 私だけに優しくして! と。

「いえ、ほしくなったら自分で買いますよ。そんなに高い値段じゃないんでしょう? それに買った方が作者さんの懐も潤いますしね」

 違う。確かにお金を落とした方が作者のためにはなるけど、どうしてわざわざ、村崎さんとの接点を減らすような真似をする。

 私は何がしたいんだ。わざと引くことで、村崎さんの気を引きたいのか。なんて浅ましいんだ。

「そうだね。お金を落とすのは大事だもんね。単行本がもっと売れてれば、もしかしたらまだ続いてたのかもしれないし」

 村崎さんの顔は笑っていたけど、目の奥に宿る切なさを私は見てしまう。なかなか見ない表情が見れたことに、適切な感情ではないかもしれないけれど、私はキュンとした。可愛い、と思わず声に出そうになる。

 胸が締め付けられるような想いを、人は何と呼ぶ。

 いや、もしかしたら私はもうとっくに分かっていたのかもしれない。複雑で、一筋縄ではいかなくて、それでも真っすぐな思いを、推しという言葉に代替して、ごまかしていたのかもしれない。

 推しというたった二文字からこぼれ落ちていた想いが、私の中に溢れてくる。止まらなくなる。

「村崎さんって、イタリアン好きですか?」

 分かりやすく目を見開かれて、私は自分が大それたことを言ったのだと気づいた。言葉が脳を通さずに、直接口から出たみたいだった。

 何を言ってるんだ、私は。すいません。今のナシです。忘れてください。

「うん、好きだけどどうしたの?」

 私の思いに反して、村崎さんは乗っかってきたので、もう逃げられない。私は一つ咳きこんで、覚悟を固めた。

「あの、私イタリアンの美味しいお店を知ってるんですけど、今度よかったら一緒に行けたらなぁって」

 スマートフォンを取り出す村崎さんは、私の誘いを真剣に考えてくれているようだった。カレンダーのアプリを開いたのが分かる。

 まださほど距離も縮まっていないのに、いきなり食事に誘うなんて、すっ飛ばしすぎじゃないかとは思われていなさそうで、私はバレないように胸をなでおろす。

 だけれど、顔を上げた村崎さんは申し訳なさそうな顔をしていた。

「ごめん。行きたいのは山々なんだけど、なかなか時間取れなくて。早くて三週間後とかになっちゃうんだけど、それでもいい?」

 そうですよね。分かってますよ。村崎さんみたいな人、放っておかれるわけがないってのは。

 私はおずおずと頷く。残念だという気持ちはおくびにも出さない。

「大丈夫です。また話しましょう」

「うん、そうだね。ありがと。ちなみになんていうお店なの?」

「あのもしかしたら村崎さんは知らないかもしれないんですけど……」

「そんな知る人ぞ知る名店なの?」

「はい。サイゼリヤっていうんですけど知ってますか?」

 そう言った途端、村崎さんは大きく口を開けて笑ってみせた。口元に着いたケチャップが眩しい。

 村崎さんの笑顔を引き出せて嬉しいのが半分。もう半分は逃げてしまった後悔だ。

「それくらい知ってるよ。私もよく行くから」

 よほどツボに入ったのか、村崎さんは笑い続けている。釣られるように私も笑った。

 笑ってさえいれば、この気持ちにも蓋をできるような気がしていた。気がしただけだった。



続く


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