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ぼくたちはバズることができない(2)
税金の 高さに毎年 引いている 神隠しにでも あったみたいに
#まいにち短歌
#気に入ったらリツイート
手ごたえにかかわらず、俺の短歌は大体二リツイートに収束するようにできているらしい。
だから、二リツイートまでは、リツイート数に数えないことにした。
つまり、今日の俺の短歌は、〇リツイート三いいねだ。
いいねするくらいならリツイートしてくれと思うが、お返しにいいねしかしない俺も同等だ。薄っぺらいハートがSNSでは飛び回っている。
シャワーから上がって、パンツ一丁のまま俺は録画したバラエティ番組を見ながら、今日は梅酒を流し込む。
一人暮らしだから、フルオープンでもいいところを、すんでのところでとどまっていることを逆に褒めてほしいと考える俺の頭は、一杯目で既に酔っぱらっていた。
梅雨が明けて、今年はじめてつけた冷房の風が涼しい。座布団の上にだらんと仰向けになると、世界が思い通りになるような万能感を抱いた。テレビの音が寝かしつけるように耳に届いてくる。
幸せというにはいささかみっともなさすぎるが、それでも俺は拳をぐっと握っていた。妻帯者だったらこうはいくまい。
バズるには作品を投稿していくだけではダメということには、俺はすでに気がついていた。日頃の行い。普段どんなツイートをしているかどうかが大切なのだ。
とりあえずトレンド入りしている話題には、一つか二つ触れておく。
狙いは芸能人のスキャンダルだ。不倫、二股、離婚。逮捕されない程度のトピックスがちょうどいい。
こんなことをするなんて信じられない、最低。などとは書かない。炎上に加担するのはアホのやり方だ。
今の流行りは、炎上に加担する奴らに苦言を呈すること。犯罪をしたわけではないのだから、そこまで叩くのは違うのではないか。そういった趣旨の文言を元記事と一緒に投稿する。
こうしておけば、たいてい一つか二つはいいねがつくし、もしバズらなかったとしても、冷静に物事を見ているんだなと、イメージが上がっていいこと尽くめだ。
今のところ結果に結びついてはいないが、それでもいつかは花開くだろう。
そして、これまた日課のタイムライン観察。特に面白いことも、役に立つことも呟いている人間は、俺のフォローしている奴の中にはいないのだけれど、いくつか眺めているうちに、あの有名歌人のツイートが目に入った。
ツイート内容は短歌ではなく、一番上に【告知】と書かれている。
私、松原薫風は一一月二十二日開催の、第三十一回ブンゲイ市場東京に参加させていただきます。刊行中の「乾いた鈴の音」「傲慢な君」に加え、新作歌集(タイトル未定)も数量限定で頒布予定です。先行き不透明なこのご時世ですが、よろしければお立ち寄りください。
#ブンゲイ市場
はじめて聞くイベント名を、俺はスルーすることができなかった。ツイートに張り付けられたリンクをタップしてみる。すると水色のバナーが俺の目に飛び込む。
トップページの説明には「自身が『文芸』と感ずるものならば、なんでもOKの同人誌即売会」と書かれていて、年始になるとツイッターで盛り上がる、コミマの文芸バージョンという雑な理解を俺はした。
メニュー一覧に、フォトギャラリーがあったので、なんとなく覗いてみる。写真は数十点あり、広い会場に手作り感あふれるブースが出展している様子や、来場者がまさに同人誌を買おうとしている瞬間が収められていた。
出展者と思しき三人の女性の笑顔には、少し吐き捨てたくなるような思いもしたけれど、俺の興味は大きくなっていって、都合のいい妄想をもたらすまでに至る。
当日。どんな雰囲気かは知らないが、俺はブースを出していて、自作の歌集を販売している。
ツイッターでの見向きのされなさが信じられないくらい、俺の歌集はどんどんと売れていき、あっという間に完売御礼。財布では諭吉や英世がおしくらまんじゅう。
理想的な手のひら返しに、承認欲求もたっぷりと満たされる。この世の天国とすら思えてしまう。
俺の指は応募フォームを開いていた。いくつか必要事項を入力すると、ページはサークルの人数を聞いてくる。
バカにするな。俺は映画館だって遊園地だって一人で行ける人間だ。いつも誰かがついてくるだけで、行こうと思えば、ブラジルにだって行けてしまう。
だけれど、俺の手はなぜだか1という数字を入力するのにためらっていた。はじめて出店する同人誌即売会は、南極ほどに遠くに感じられた。
そうだ。ブンゲイ市場に興味のある人間は俺の他にもいるはずだ。
二人での参加なら出店料も割り勘できるというもっともな理由を見つけて、ツイッターを開く。通知が増えていないことに、苛立ちながらもダイレクトメッセージをタップ。
とりあえず、ミカヅキにブンゲイ市場というイベントがあることと、一緒に出てみないかという趣旨の文言を送りつけた。
ミカヅキもツイッターを開いていたらしく、すぐに返事は来た。意訳すると、「興味がある。出てみたい」という内容だった。
二人目に同じ文言を送る手間が省けた。
名義はミカヅキのままでいいのかもう一度聞いて、確認を得たところで、俺は申し込みページに戻る。一応俺を代表者ということにして、残りの必要事項を入力する。
先着八〇〇ブース以内に入ったので抽選はなく、いとも簡単に申し込みは完了した。
意外なほどあっさりと終わり、会場となる江東区アドモスホールは、南極ほど遠い場所ではないことを知る。
まだ何かを成し遂げたわけではない。
むしろここからが始まりだ。歌集を作るということは俺にもミカヅキにも全く未知の領域なのだ。
それでも、俺は申し込んだだけで、達成感を抱いていた。
梅酒の残りを飲み干し、そのまま仰向けに寝込む。コンタクトレンズはつけたままだが、構わないだろう。俺は目を閉じて、そっと眠りに落ちた。
いつものように途中で目が覚めることもなく、会社に遅刻するギリギリの時刻まで、気持ちよく眠ることができた。
「サークル名は、二人の名前を掛け合わせて『三日月軒』なんてどうでしょう」
「このページには、ブン市で売れる目安は大体三〇部って書いてあるから、俺たちは売り切れないように。四〇部ずつ刷ろうぜ」
「印刷代けっこうかかりますね。販売価格一〇〇〇円くらいにしないと、採算合わないです」
「同じページに名刺も作るといいって書いてあった。とりあえず、サークルの名刺を三〇枚用意しようぜ」
「告知もしたほうがいいみたいですよ。ツイッターで三日月軒のアカウント作りましょう」
夏から秋にかけて、俺たちは忙しない日々を過ごした。
販売するのは、俺とミカヅキ、それぞれの単独歌集。それに、二人合同の同人誌の合計三冊。一冊がおよそ五〇ページで、販売価格はそれぞれ一〇〇〇円に設定した。出店料も込みで、完売してギリギリトントンになる値段だ。
製本作業や入稿は全てミカヅキがやってくれた。表紙も名刺もPhotoshopというソフトを使って作成したらしい。
三日月軒のアカウントの運営もミカヅキに一任している。俺よりもツイッター歴が長いから、適任だろうと判断した。
だから、俺は新たに七〇首ほど短歌を書き下ろすことに、専念することができた。
もちろん、毎日頭を振り絞って考えるのは大変ではあったのだけれど、これもスタートラインに立つためには仕方がない。
四六時中考えて振り絞った七〇首はどれも自信作で、単独歌集『穴のないドーナツ』は俺の持てる力すべてを注ぎ込んだ、一世一代の力作だ。
月日はあっという間に流れ、いよいよ翌日にブンゲイ市場の開催を控えることになった。
当日必要なものを用意するのは、俺の役目だ。
敷布、釣り銭、イーゼル、作品紹介、このご時世ならではのアルコールティッシュ。そして、何より大事な参加証。一つ一つ確認しながら、黒いリュックに詰めていく。
前日準備が終わったときには、既に二三時三〇分を回っていた。腰を下ろして、チューハイの缶を開けようとしたとき、今日の短歌をまだ投稿していないことに気づく。
コンビニの チルドのおでんは 店頭で 買うより少し しょっぱい味だ
#まいにち短歌
#気に入ったらリツイート
今シーズンはコンビニで、熱々のおでんが売られていない。二〇二〇年を記録した歌だ。
バズることはおそらくないだろうが、手ごたえがアルミ缶を傾ける。
アルコールが俺の気分を、高揚感でコーティングする。ドラマの面白さも三割増しだ。
主人公の恐怖に歪む顔に、思わず笑いが込み上げてきて、俺は二杯目にビールも空けた。
画面の中にあればどんな恐ろしい顔も、極上の肴になる。安全という快楽を、俺は心ゆくまで堪能していた。
さらに三杯目のチューハイも飲み干したところで、俺は横になった。
インスタントのシジミの味噌汁も飲んでいるから、起きたところで二日酔いはないだろう。
時刻は二時を回っている。ブースの設営は一〇時半からだから、今から寝ても余裕を持って起きることができる。
電気を消してもう一度仰向けになる。寝る前にもう一度スマートフォンを確認する。
今日の短歌のリツイートは、俺の基準ではゼロだった。
目をつぶって、しばらく眠ることに意識を集中してみる。
だが、アルコールが回り切った頭は俺を休ませてはくれなかった。脳裏に何度もしてきた妄想が浮かぶ。
新品の本のひんやりとした手触り。ミカヅキの作った見事な表紙。
開場するやいなや、次々に俺たちのブースに足を運んでくれる来場者たち。
俺たちの歌集は競うように売れ、終了時間を待たずして完売する。大きな儲けもないが、赤字になることもない。
満足感を胸に、余った時間でゆっくりと会場を回ることができるだろう。
ひょっとしたら完売してから終了するまで、暇を持て余すかもしれない。読んでいる漫画でも持っていこうか。
夢であることを自覚して見る夢を明晰夢と呼ぶのなら、眠っていない状態で見る夢は何と呼ぶのだろう。
眠ろうとすればするほど、目は冴えに冴え、一時間もしないうちに、俺はパソコンでドラマの続きを見ていた。
時刻は三時。ドラマはあと六話もある。全て観終わった頃には夜も明けて、出発にちょうどいい時間になっているだろう。
俺はイヤフォンから聞こえる再びの悲鳴にほくそ笑んだ。
傍から見てどう思われるかなんて、頭によぎることすらしなかった。
だって俺と同じように夜を過ごしている人間は、大勢いるはずだから。
電車のドアが開いて、最寄り駅に到着したことを告げる。大荷物を手にした人が何人も降りていき、俺と同じ場所に向かうことを知った。
ここは臨海モノレール・アドモスホール前駅。決戦の予感を漂わせる駅だ。
あれから俺は一睡もしなかった。ドラマを見終えて、特に感慨に浸ることもなく、シャワーを浴びてから着替えて、荷物とともに家を出た。
近くの牛丼屋で適当に朝飯を済ませ、二回の乗り換えを経て、辿り着く。
家でも水をガブガブ飲んだからか、二日酔いは全くなく、頭はすっきりしている。酒呑みの家系に今日だけは感謝だ。
ミカヅキとは駅の出口で待ち合わせることになっている。ベージュのアウターに、ワインレッドの帽子が目印とのことで、それらしき人物は改札を出る前から、すぐに見つかった。
しかし、その人物をミカヅキだと認識するには少々時間がかかってしまった。
俺がイメージしていたのは、俺と同じくらいの年齢で、眼鏡をかけた俺よりも冴えない男だった。
だが、実際のミカヅキは女だった。ベージュのアウターから薄桃色のセーターが覗く。チノパンを穿いた脚はすらりと細く、ワインレッドのベレー帽は、俺が思い描いていたどの帽子とも異なっていた。
見た目の雰囲気からして、二〇かそこらに見える。女子大に通っていそうな、俺と縁遠い人物。
俺が改札をくぐると、向こうから「あの、もしかしてケンさんですか?」と話しかけてくる。
俺の特徴は伝えていなかったが、目線からして自分を見ていると勘づいたらしい。
「はい、そうです。もしかして、ミカヅキさんですか?」
俺の言葉にためらいながらも頷いていたから、どうやらこの人物をミカヅキとみなしてよさそうだ。マスクに隠れて口元は見えないが、目元が緩んでいる。
一歩近づいてくると、首の後ろから香水の匂いがした。
「はい。あの、今回は私を誘っていただきありがとうございます。前に来場者として行ったことはあったんですけど、自分ではなかなか勇気が出なくて。ケンさんに誘われなかったら、たぶん今回も出店していなかったと思います」
「いえ、こちらこそ入稿やら表紙やら宣伝やら頼りっぱなしで。今日販売できるのも、ミカヅキさんのおかげですから。ありがとうございます」
互いに礼を言う俺たちは、まるで仕事で来ているようだ。
俺たちの他にも駅前で待ち合わせている人間は少なくなく、次々と合流してはアドモスホールへと向かっていく。
もう出展者の入場は始まっていた。
「今日は無事開催できるみたいでよかったですね。尽力してくださった関係者の方々には本当に感謝感謝です」
「ここ最近は感染者も四〇〇人を超えてましたからね。俺、今日を迎えるまでいつ中止になるかもしれないとビクビクしてました」
「私もです。特に今月に入ってからは外食もしないように気をつけてて。家に帰ってのうがい手洗いも欠かしませんでしたし、なんとか無事に今日まで来れました」
ミカヅキが微笑むと、目元に寄った皴さえどこか魅力的に見えてしまう。
職場での固定された人付き合いしかしてこなかった俺に、瑞々しいミカヅキの雰囲気は新鮮だった。
動揺を悟られないよう、俺は淡々とした素振りで背負っていたリュックから、透明なクリアファイルを取り出す。
あらかじめ切り取っておいた出店者証を渡すと、ゴールドカードを見るようにミカヅキは目を輝かした。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
俺たち二人は横並びで歩き出す。頭上を空港快速が通過する音がした。