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碧空を征く 最後の海軍航空艦隊 彗星艦爆隊員の手記より 「藻屑録」
手記の発表にあたって 私の立ち位置
今年、戦後80年を迎えるにあたり、このnoteブログで、先の太平洋戦争で特攻隊員だった父の手記を中心に、数回にわたって連載していきます。
まず初めに、私の立場を明確にしておきたいと思います。このブログで、戦争や特攻を賛美・美化するつもりはありません。私は反戦・平和の立場です。
戦争は、多くの犠牲や苦しみをもたらす非人間的で残酷な出来事です。今もなお、世界のどこかで戦争が続いている現実を忘れてはいけません。
特別攻撃隊は、日本の軍国主義者が考え出した最後の手段でした。これは、人間として選ぶべきではない方法です。
なぜ日本がこのような大規模な特攻作戦に踏み切ったのか、私たちはその背景を深く考える必要があります。戦争の本質を理解することで、歴史上での特攻隊の位置をより深く知ることができるでしょう。
このブログは、父の手記をもとにしたもので、父の実体験や心情が赤裸々に記されています。これを通じて、戦争の歴史を「個の視点」と「世界の視点」から知ることが、平和への第一歩になると信じています。
併せて、各回の父の手記を紹介する際には「投稿者のコメント」欄を設け、当時の父の視座から一定の距離を置き、戦後生まれの私の視点から客観的な記述も加えていきます。
ぜひ、このメッセージが戦争を考えるきっかけになればと思い、このブログを投稿します。
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二つの命日(亡き父の手記より)
父の命日は、2013年(平成25年)3月17日です。松江市内の病院で、家族に見守られながら安らかに旅立ちました。享年87歳でした。
しかし、父にはもう一つ、他者から一方的に告げられた命日があります。それは、1945年(昭和20年)8月13日。出撃命令の日です。目標は木更津沖、太平洋上の米国艦隊。800キログラムの爆弾を抱え、日本海軍の彗星43型艦上爆撃機とともに、体当たりで米艦隊を撃滅せよとの命令が下されました。「特攻」です。
手元には、父が退職後の1991年(平成3年)頃に、当時の出来事や心情を書き記した膨大な手記が残されています。
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まず、その序文を紹介します。
“ 藻屑録
荒磯の岩場に、繁茂する藻の茂みから離れた漂う一片の藻屑。
時には打ち寄せる波にさらわれまいと必死で耐え、また強い潮の流れに逆らいつつ岩にしがみつき、岩の割れ目や窪みに必死で根を張り、流されないようただ耐え抜いて生きてきた藻。
今はもう一片の藻屑と化し、未知の海原を波に任せ、風や潮に身をまかせて、ひねもすのたり、のたりかな……。自由の身で決して創造では図り知れない、身を没入しなければ体験できない人生。誰に憚ることもなく、へつらうこともない視野、感覚、思想をもって、我が来しかたの生きざまから得た反省を徒然なるままに反芻し、書き写す藻屑録。
1991年(平成3年)7月 吉日
松下 進 ”
以上のような序文から、この手記は始まります。
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今年(2025年)は、昭和100年・戦後80年の節目の年です。これから何回かに分けて亡き父の手記を紹介していきたいと思います。当時の特攻パイロットでなければ書けない、実体験に基づいた貴重な手記です。後生に伝えるべき、一個人の視点から見た戦争の記録と平和へのメッセージです。(長編です。)
次回へ続きます。
次回からは、父の手記を現代(2025年)の視座から、そのつど投稿者としてのコメントも添えていく予定です。
以降もお付き合いいただきますよう、お願いいたします。
※ note掲載にあたって
この父の手記は、1990年(平成2年)頃から1995年(平成7年)頃に、父がワープロで当時の記憶をたどりながら、各種文献を基に記したものです。現在では、不適切な表現や誤った表記があるかもしれません。
また、歴史的検証や裏付け調査研究等は不十分です。その点をご理解の上、お読みいただければ幸いです。
もくじ
終 章 「事後情報分析からの考察」
おわりに 「二つの命日」
資 料 「あの日の電信の意味するもの」